集合住宅

蛇の道はheavyだぜ

お通夜

焼香リストの制作が終わったら、特にすることもなかったのでこたつに入ってごろごろしたり、甘納豆を食べたりしていた。
三年ほど逢っていない親族にどう接していいのかわからず困惑していたが、A兄の嫁が連れてきていたポメラニアンが私たちの三年を簡単に埋めてくれた。
そのポメラニアンは体の弱い子らしく、過去に数回も骨折をしている。そのためペットホテルに預けることも出来ないので連れてきたらしい。二週間に一回シャンプーをしているらしく、ふわふわのもふもふでとても綺麗だった。


祖父は本当に、今にも起き出しそうな顔で眠っている。常に親族が代わる代わる祖父の側にいた。(蝋燭の火を見張るため)
その光景を目にしてもまだ実感を持つことができなかった。けれど、祖父の頬に触れたときに、その体が金属のように冷たかったことが私の心も冷たくした。
(腐敗を防止するために、背中にアイスノンを入れているらしい。そのためにより冷たく感じられる。)

お葬式を経験するのはこれが二回目だ。一番最初は、母方の祖父が亡くなったとき。それは私が小学校三年生の時だ。その頃はまだ幼くて「死」をちゃんと理解していなかった。
でも今私はもう二十歳だ。きっと今なら理解できるはずである。

私は深くお葬式のことを知りたい、出来る限り関わりたいと思った。だから色々お葬式を手伝った。


お香典の受付は親族数名と、隣保の人たちによって行われる。隣保の人たちに任せてしまってもいいのだが、金銭トラブルの抑止のために親族も加えて行うらしい。私はお通夜の時もお葬式の時も、受付を担った。受付を担当した親族は、私と、遠縁の親戚とB兄だった。
(遠縁の親戚は、昔校長先生をやっていたこともある人で皆から信頼されている人物のようだった 知的で素敵な人だった あと40年ぐらい若かったら物凄くタイプだったろうなって思った)
受付の手順は、参列者に一礼をする。香典を受けとると、ご記帳お願いいたしますと誘導する。その間にお礼の品の用意をし、手渡す。中には他の人の分を預かって持ってきている人や、連名で香典を出している人もいるため、人数分お礼の品を相手に確認して渡す。5個以上のお礼の品の場合、袋に入れてお渡しする。といった具合。
混雑してきた際についいつものくせで『こちらのレジにどうぞ』と言ってしまいそうになるが、頑張って言わないように心がけたことを覚えている。

お葬式において気づいたところは、時代に合わせてよりハイテクに、より便利になっていることである。
昔は香典袋は千枚通しで穴をあけ、一本の紐に結びつけたらしいが、今は番号の書かれた穴の空いているシールを右上に張るようになっている。(その番号は芳名帳に記帳してもらった番号と同じになっている)
芳名帳には必ず名前と住所を書いてもらう。もし香典を貰っても住所が分からなければ、香典返しが出来なくなってしまうかもしれないからだ。そこは徹底した。

祭壇の遺影が写真ではなく、TOSHIBAの液晶画面だったことも驚いた。
大画面に祖父の顔…‥TOSHIBA‥ 少しシュールだなと思ってしまった。

葬儀はホール内で行われるのだが、ホールの外で受付をやっていても見ることができる。声を聞くこともできる。それは会場を映し出した画面があるからだ。そのハイテクさにも驚いた。お焼香の際の人の動きを見るのは正直ちょっと面白かった。

受付を終えた後ホールに入りお焼香をする。
手順がわからなくてB兄と一緒に戸惑い、伯母の方をちらちらと見ていた。伯母が小声で
『来賓に一礼、親族に一礼したら、遺影に一礼 三回焼香したらまた一礼 その後来賓に一礼 親族に一礼』と教えてくれた。
席に戻った後B兄が『こんなんわからんやんなあ、雫』といたずらっ子のような笑みを向けてきた。

お通夜の後、気丈に振る舞っていた祖母が激しく泣き出した。それは立っていられなくなるほどだった。いつも祖母は元気で明るい、働き者のイメージの強い人だったので、その様はとても強烈だった。
私も祖母につられて涙を溢した。祖母のことを思って泣いた。祖父がいなくなって、一番悲しくて寂しいのは祖母なのだ。これから祖母は独りになってしまうのだ。そう思うと辛かった。