集合住宅

蛇の道はheavyだぜ

お葬式から私が思ったこと

お葬式というのは故人のためではなくて、遺族のためにあるものなのだと思った。
お葬式というのは、忙しい。やることがいっぱいある。
しかし、その忙しさを与えてくれることに、助かっているところがあるように思う。(逆に言えば、お葬式が終わって落ち着いて皆帰っちゃった後が一番つらいのかも)
お通夜・告別式・火葬という儀礼的な流れがあることで、段階を踏んで少しずつ別れを実感させてくれるし、私たちを泣かせてくれる。

事故がなければ、もう少し長く生きていたかも知れないという思いもあるが、それでも祖父は88年も生きたので、あまり悲痛なお葬式にはならなかったように思う。むしろ、時おり笑い出すような、そんな葬式だった。


お葬式は悲しいだけではなかったなって思った。久しぶりに親族と顔を合わせられて嬉しい気持ちもあったし、同じ気持ちを共有できていることへの安心感もあった。



そして私が感じたのは、宗教の優しさだ。
一応家が真言宗ではあるものの、あまり特定の宗教を信じるだとかそういった信仰心は私には希薄だった。今は少し、信じたいなって思う。

人は脳が死んだら思考の何もかもが止まって永遠の停止が待っている。何も感じることも考えることも思い出すことも出来ない無が始まるのだと私は思っている。だから私は死ぬのが怖い。
死んだことがないからわからないけど、科学的に言えば、死はそういうものなのだろうと思う。

しかし仏教には極楽浄土の世界がある。死んだあとでも魂がある。
そう信じている。

この世にいる我々は死者に対して何も出来ないけれど、せめて故人が極楽へ行けるようにと祈りながら真言を読むのだ。
私も、自分の祖父が極楽に行くのだと信じたいし、人が死んでも魂があるのだと信じたいなって思った。
お墓や、先祖のことを大切にしたいという思いも生まれた。


祖父が死んで思ったのが、当たり前だけど人はやっぱり死ぬんだっていうこと。
何か事故や病気にならなければ、きっと私よりも年上の人が私よりも先に死ぬ。祖母も父も母も、きっと私よりも先に死ぬ。その死にいつか直面する日は来るのだ。
そして私もいつか必ず死ぬ。
だからそれまでに家族のことを大切にしたいなって思った。親が亡くなったら、そのお墓にもずっと参ろうって思った。