集合住宅

蛇の道はheavyだぜ

生々しい話

中学生の頃、私は同じ学校の同学年のすべての男の子を嫌悪していた。
下の階のベランダで食事していた我々に対して、上の階のベランダにいる男子が意図的にものを落としてきたことがあって、実際に被害を受けたからだ。
確か落としてきたのは、チョークの粉、つば、お弁当の中のバラン、消しゴムだったと思う。

私たちはクラスから鎖国した小さな国だった。外界とは関わらず、自分たちだけの小さな世界の中で楽しく暮らしていた。そして私がその小さな世界の建国者であり指導者だった。
『例え自分のスクールカーストがどれだけ下で、クラスの皆から格下に思われ見下されても、自分の小さな拠り所を守るためならば戦わなくてはいけない』と思っていた。

ものを落としてくる彼らのために、ベランダでの食事をやめることは負けだと思った。屈服なんてしたくなかった。上の階から陰湿な表情を浮かべてこちらを見てくる彼らが許せなかった。
ある日とうとう本気でぶちぎれた。

『あいつら重力を味方にしていい気になりやがって』と思い、地の利を生かして落としてこられることに腹が立ち、下の階から上の階のベランダへシャーペンを投げた。(今思えばなかなか苛烈な中学生だったと思う)

シャーペンは勢いよく上がり、男子の顔にクリーンヒットした。そこで大騒ぎになって、先生などにも知れ渡り、その後話し合いの場を設けられた。
それ以来、嫌がらせをされることはなくなった。(しかしそれ以外にも何度か男子といざこざかあった。)


高校は中学からエスカレーターで上がった。その頃には私たちのような『異物』に対しても目が慣れてくるのか、外の人たちが無理やり関わってこようとすることもなくなった。故に中学の頃のような『全ての男子が嫌い!』といった苛烈さは無くなったが、それでも嫌いな奴が大半だった。
そんなものだから、私は中学生の頃も高校生の頃も、現実の男の子に対して思いを寄せたことはなかった。


私は高校生の頃、世の高校生達が爽やかな青春に勤しんでいる中、一人部屋の中でじめじめと横恋慕をしていた。ネットのある人に一年以上片想いをしていたのだ。結局その人の顔も名前も声も何も知ることはできなかったし、特別親しくもなれなかった。知り合い以上友達未満を抜け出せなかったのだ。
その人のネットへの比重はどんどん小さくなっていき、私の知らない現実の人になっていた。いつの間にか彼は現実の女の子に片想いをしていた。私は道端の石ころ以下で終わった。


大学入学時、私はもしかしたら男性を愛することができないのではないかと思った。ネットの人間にそうやってうだうだ憧れていたのは、知らない部分を自分で補完し勝手に美化して偶像崇拝したいだけなんじゃないの。本当は生身の男性のことなんて愛せないんじゃないのって。もしあの人が同じクラスにいたとしても、きっと好きにはなっていなかっただろうし。


大学生になって、私は初めて男性と交際した。しかし、その人のことが特別好きだったからではない。人からどうして付き合ってるのと聞かれたときに、はぐらかして『異性と付き合ってみたかったから』と答えていたけど、実際は少し違う。
『自分が異性を愛することができるのか試したかったから』だ。他の人が皆できていることを、私にだって出来るはずだと思った。
それが駄目だったら落伍者として開き直って生きていこうと決めていた。
今にして思えば、相手にかなり失礼だったと思う。

結果的に、私に異性を愛することができないのか、相手が私と合わなかったのかわからなかった。
メルマガの講読をやめるように、メール一つで関係は終わったので、情報化社会を感じた。

そしてそれ以降、悲しいぐらい私には何もない。