集合住宅

蛇の道はheavyだぜ

じめじめ

ネットが普及してから、一人暮らしの人は以前よりも寂しくないはずだと思う。一人でも別に孤独ではない。狭い部屋の中にいても、小さな端末を取り出せばどこへでも繋がることが出来る。


以前は私の通信媒体はスマホしかなかった。パソコンからインターネットを使う際はスマホテザリングから行っていたし、家の電話もこの部屋には引いていない。全てをスマホが賄っていた。
だから、スマホを紛失したり故障させたりした場合、狭い四畳半の部屋が孤立無援の離島と化す。別に誰かから連絡がくるわけでもないし、また私も誰かに連絡が取りたいわけではないのだが、不安になる。自分には携帯依存性の気があるのかもしれない。

今はポケットWi-Fiと契約しているためにもしどちらかがおかしくなっても、私はネットを繋げることが出来る。

元来私はポジティブな思考の持ち主なのだが、最近はなんだかネガティブなことばかり考えてしまって気分が下がっている。孤独を感じることもしばしばあるのだが、私を孤独だと言うのは無理があるように思う。こんな、すぐに誰とでも繋がれる環境を持っている私が孤独であるわけがない。そんなのは本当の孤独ではない。気取っているだけだ。誰かに冷たくされているだとか、特にこれといった理由もない。ただ漠然と嫌になっている。なんでかな。冬だからかしら。

私には未来が見えない。自分の将来が見えない。自分の大学を卒業してからの姿が想像できない。私は社会人になって働けているだろうか。父と母と祖母に寄り添い、生活できているだろうか。
もし、どの企業からも必要だと思われなかったら私はどうすればいいんだろう。収入源が何もないまま親のお金を空費するだけの存在にだけはなりたくない。私は家族を愛している。親には愛情とお金をかけてもらった分、出来ることなら返したい。
でもそれがもし出来なかったら、私はどうすればいい。私の母のいとこに、荷物になっている人がいる。もうすぐ50歳になるのにずっと職につかず、親を苦しめ、それでも生きている。そんな状態で生きててどうするんだ。息を吸うように迷惑をかけ、お金を減らすぐらいならいっそ身を投げた方がいいのではないかと考えてしまう。自分の未来が見えない。大袈裟だけど、25歳ぐらいで自分はもしかしたら死んでしまっているのではないかと少し思う。
輪るピングドラムでは、選ばれないこどもは『こどもブロイラー』行きとなり、シュレッダーにかけられ『透明な存在』にされてしまう。登場人物たちは選ばれる存在になるために『生存戦略』をして戦う。なんだか自分の今の心情的な境遇と輪るピングドラムが似ているように思えてならないのだ。