集合住宅

蛇の道はheavyだぜ

何も語れない

私には人に語れるような好きなものなんてないんじゃないかと思う。私はアニメが好きだけれど、特にそのアニメのイベントに行ったりもしなければ、円盤を買って制作会社に貢献したりもしない。
つまりアニメに対してお金を使わない。アニメに割いている時間は長いようには思うが、私は「オタク」とはいえないと思う。


中学生ぐらいの頃は漫画を全巻揃えてみたり、音楽も一人の歌手の歌ばかりを聴いていろんなアルバムを網羅したりして、ひとつの物に深く入り込んでいた。ひとつのものに入り込むのが楽しかった。
でも、ある時気づいてしまった。ひとつの物に入り込むよりも色々なものに手当たりしだい手を出して、ショートケーキの苺だけを食べ散らかすほうがもっと楽しいということに。
私はベスト盤のCD一枚を借りたら満足しておなかいっぱいになった。そして今度は違う人のベスト盤を借りてまた満足して次へ行く。
私はショートケーキのスポンジ部分を食べなくなった。ミーハーな「にわか」だ。そんなものだから、私には何一つとして誰かに語れる好きなものはないのだ。


多分オタクは私のようなタイプの人間が嫌いだと思う。でも私はオタクのことが好きだ。悲しい片思いだ。
だから、なるべくオタクたちの敵にならないようには心がけている。
「○○のことはよく知らないけど好き」と言うようにしている。けして「知っている」なんて言ってはいけない。
「好き」という言葉はありがたいもので自由度が高い。自分が大切に思っているものを全然詳しくもないやつが、さもやよく知っているかのような顔をしているのは腹が立つが、「好き」と言われることには悪く思わない(はずだ)。

あの感覚を思い出してほしい。自分が友達にCDを貸して、「この曲すごくよかった」と言われたとき、
褒められているのはその歌手なのに、なぜか自分が褒められたように感じてしまうあの不思議な感覚を。自分の好きなものを肯定する人のことを、オタクは嫌いになれないんじゃないかと私は思っている。(芸能人のオタクアピールはここに含まれない)


しかし、中学・高校からの友人と久しぶりに会って話した際に、
『私は深夜アニメに限界を感じていてな。丁度キャラクターに愛着が出てきた頃に終わってしまう。深夜アニメだと1クール、長くて2クールだ。そこで活路を見いだしたのが女児向けアニメだ。それらは通年で放送されており、一年かけて丁寧にキャラクターを描いている。彼女たちの心の機微、壁にぶつかって葛藤する姿やそれを乗り越えていく姿……私の求めてるものが全部あったんだよ!!伏線回収なども丁寧に行われているし凝ってる。やっぱ一年かけてやるっていうのがいいんだろうね。中学生ぐらいの思春期の女の子たちが少しずつ成長していく様を見ていると、彼女たちと一緒の時間を、一緒に過ごしているような感覚になるんだ……』
みたいなことを熱弁したら、
『雫ちゃん、大学生になってからより悪化したね。よりキモくなったね。』
と言われてしまった。何故だ。