集合住宅

蛇の道はheavyだぜ

裸婦像にブラジャーを着けた話

学校の裸婦像にブラジャーをつけること。それはいつのまにか、私自身の宿願となっていた。


ブラジャー装着を"冬"に行うというのに拘りがあった。利点が二つあるからだ。

普段池の周りは人気がなく、誰も近寄ってこない。もし裸婦像にブラジャーを着けても、誰も気づいてくれないまま時が過ぎ、ブラジャーが雨や風で汚れていくかもしれない。美しい状態を見つけてもらいたかった。
しかし冬は、学内で行われるクロスカントリー大会に備えて、体育の時間に生徒たちは走らされる。女子のウォーミングアップのコースで池の周りを通るのだ。だから冬なら確実に生徒に発見してもらえる。第一発見者が先生だと、すぐに撤去されてしまい誰の目にも触れずに終わるかもしれない。私は出来る限り色んな生徒に気づいてもらいたかった。


裸婦像の位置は、池を挟んで職員室の正面にあった。つまり職員室の窓からよく見える。不審な行動をするとバレてしまう。
しかし冬期なら、職員室の窓はブラインドをおろしていることが多いため、作業を発見される心配もない。



私は裸婦像にブラジャーを着けることは、悪質な悪戯ではないと思っていた。裸婦像は学校の敷地内のもので、しかもその学校の生徒による悪戯だ。
それにブラジャーは着けるのも簡単だが、外すのも簡単だ。ホックと肩ひもを外せば簡単に取れる。落書きのように撤去する人に骨を折らせない。それに、裸婦像にブラジャーをつけることは『器物損壊』には当たらないと判断した。


某日、受験の終わった友達と共に決行した。時間もわざわざ、二時間目の授業中を狙って銅像の元へ。

私は自分の行為を悪質な悪戯にしないために、この裸婦像と、この裸婦像を作った美術の先生に対して『リスペクト』の気持ちをもって作業することを心がけた。
この裸婦像は野晒しにされ、雨風によって摩耗し、蜘蛛の巣は張り、鳥からは『贈り物』をされていた。かなり汚れている。だから、ブラジャーを着ける前に落とせる汚れは磨いて綺麗にした。


予めサイズを測った上で購入したブラジャーだったので、裸婦像の胸にぴったりとフィットした。まるで、以前からこのブラジャーを着けていたかのように、しっくりときた。
ずっと昔から、この姿で存在していたかのような錯覚に襲われた。
まるで欠けていたパズルのピースが埋まったようだった。あるべきものが今ここにあると思った。言葉にできない美しい"何か"が完成したように思った。あの時脳内麻薬がデュビデュバと分泌されていた。くらくらするほどの高揚感、多幸感、達成感。
自らの行為が単なる悪戯ではなく、芸術活動の一環であるかのようにすら感じられた。

作業を速やかに終わらせたあとは、足早に去った。


そのまま名乗りでないつもりだったのだが、ツイッターのフォロワーから『裸婦像のブラジャーを返してもらってこい』と言われたため、後日自白をしに行った。
先生方は私が犯人だと分かって安堵したようだ。ブラジャー装着は『不審者の仕業』ではないかと警戒されていたらしい。
(犯人がブラジャーの構造を理解している人物であるため、女子生徒の悪戯ではないかという推測もあったようだ。)

自分の予想外の迷惑をかけてしまった。やはりブラジャーというものにはどうしても猥褻さがあったのだ。もっと純粋で可愛いげのある悪戯にするために、ブラジャーを着けた裸婦像の上に、肩ひもを外せるタイプのワンピースを着せてやるべきだった。そうしていれば、女子生徒の悪戯だと思ってもらえたはずだ。

もし、今後裸婦像にブラジャーを着けるご予定がある読者には、是非私の教訓を汲み取り、活かして欲しい。ちゃんと服も着せてあげてください。




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実際に私が悪戯をした裸婦像。
(書くこともうそんなに無いから今後は毎日書かないよー)