集合住宅

蛇の道はheavyだぜ

私が初めて付き合った人 2

後ろから声をかけられた。Yちゃんだった。『あっ!Yちゃんだ!』無言を貫いていた私が弾んだ声を出す。Yちゃんと少しお話をする。
『そちらの方は?』『体育祭見に来てて、今駅まで送ってるの』
Yちゃんともう少しお話ししていたいと言う気持ちが芽生える。しかしYちゃんから
『邪魔をしては悪いし、私こっちの道から帰るから』と言われた。同じ駅を目指しているYちゃんがあえて分かれ道に行ってしまった。

この男のためにYちゃんに気を遣わせてしまった、という事実がショックだった。私はYちゃんからの一緒に帰ろうという誘いを断ってこの人と一緒に帰っているのだ。(そこに私は一抹の気まずさを覚えている)
Yちゃんにこの人と付き合っていると認識されて、その上で気を遣って分かれ道の方へ行ってしまったのか。
臭いのことよりも、この人といることに接待を意識したことよりも、痛々しい視線よりも、何よりも私にとってはショックな出来事だった。
疲れが全身に回ってくる。頭がヒヤリと冷えるような感覚があった。
ああ、もうやだ。明日も同じようにこんな繰り返しをして、私一人がこんな風に気疲れしなくてはいけないのか。


駅まで送った後家に戻り、『明日の体育祭には来ないで欲しい』『私はこの言葉をあなたに嫌われてもいいという残酷な気持ちから言っている』というようなメールを送った。
その人自身がなにも悪いことをしていないのに、自分の苛立ちのままに理不尽なキツイ言葉をかけている。自己嫌悪が嵐のように起こった。私は嫌なやつだ。でも本当のことは言えない。特に臭いのことなんか絶対に言えない。


そのメールを送って一週間ほど交流が途絶えていたのだが、彼からメールが来た。『少しでいいからお話しできませんか』と。
『雫さんに言われた言葉がショックで、食事も喉を通らず、自分のことにすら構わない状態だったので、飼っている猫のことに気をやることができなかった。最近何びきか拾ってきたうちの一匹を死なせてしまった』という内容だった。

私は最初にこれを読んだとき『お前は何を言っているのだ』と思った。でも激しい罪悪感がこの気持ちをすぐに覆い隠してどっかへやってしまった。

「理不尽に残酷な感情を向けて酷いことを言ったのは私だ。私の言葉が人を傷つけ間接的に猫を殺してしまったのだ。」

私は自らの罪悪感のために、自らの罪をなあなあにしようと思った。私は自分に負い目があると冷静な判断が出来なくなるところがある。

『酷いことを言ってごめんなさい。私が猫を間接的に殺してしまったようなものですよね。嫌われてもいいなんて言ったのは本意ではありません。私も話したいです。』といったメールを送った。
『猫が死んでしまったのは雫さんのせいではありません。もともと拾ってきた猫のなかで一番体の小さな個体で、この事は関係なく死んでしまったかもしれません。』という返事が返ってきた。
本当なら一ヶ月で終わるはずだった関係を無理矢理もう二ヶ月繋げたのだ。


八月、中学高校時代からの友人であるSから『神戸の元町に占いの館ジェムっていう凄く怪しげなところがある。凄く好奇心をそそられるのだが、一人でいく勇気がない。一緒に行ってくれないか。』と誘われた。


占い師から、『付き合っている人の生年月日を教えて』と言われた。知らないと答えた。聞いたことがないし、多分向こうも私の生年月日を知らないと。
それを聞いた占い師は『あなたたちの関係って惰性なのね』と言った。
占いというよりも、三ヶ月も付き合っていながらお互いの生年月日を知らないという私の発言からの分析のように感じたが、それでも心の奥底で思っていたことを他人の口から言われると妙にすっきりするところがあった。

その夜私はSと一緒に銭湯に行った。
その時初めて人にその人のことを言った。付き合っている人がいるということを知っている人は何人かいたのだが、その人の一部始終を語ったのは初めてだったのだ。

話を聞いたSは『その男まじないわ』と言った。
『雫ちゃんのせいじゃないと言いながらも、猫の話をわざわざするってことは、雫ちゃんに罪悪感を植え付けたかったからでしょ。それに乗せられる雫ちゃんも雫ちゃんだよ。
私はこの男の小さい人間性に辟易する。寒気がする。反吐が出る。生理的に無理。物理的に無理。色々無理。』と痛快なまでに罵ってくれた。
『ああそうか、私は友達からまじないわと言われるような人と付き合っているのか』と思うと、『別れよう』って思った。本当はもっと前から別れる理由を探し求めていて、ようやく自分を納得させられる格好の理由を見つけられたように思った。

『にしても、よく私がその人のこと好きじゃないの分かったね。その人のことなにも言わなかったのに。』と言うと、
『何も言わないから分かったよ』と言われた。そうね、私って物凄く分かりやすい子だもんね。


銭湯から家までの帰り道を友人Sと並んで歩いた時の爽快感は今でも覚えている。

湯上がりの火照った体に、夏の気持ちいい夜風が当たる。銭湯で買ったパック入りのグレープフルーツジュースの爽やかな味。洗い立ての体はすっきりとしているし、気持ちもまたすっきりとしていた。

家に帰って、友達と一緒に別れのメールを考えた。出来る限り相手を傷つけないように薄めて薄めた文章を書いた。

『夜分遅くに申し訳ありません。どうしてもお伝えしたいことがあり、メールを送らせていただきました。
突然のことで驚かれると思いますが、私とあなたの恋人関係を解消させてください。
ここまで異性と仲良くなれたのはあなたが初めてでした。あなたの優しく、細やかに気配りしてくれるところは今でも好きですし尊敬しています。ですので余計にその気持ちを恋愛感情として取り違えてしまったのかもしれません。
あなたの時間を無駄にしてしまいました。わがままばかりで本当に申し訳ありません。どうかおゆるしください。』
(紙に下書きを書いた上でメールを送っている。まだその下書きが手元にあったので原文に忠実だと思う。)

そのメールを送ったら、相手は別れることを承諾してくれた。メール一本で人間関係が終わるだなんて、メルマガの購読のようにあっさりとしている。その後彼と会ったこともメールをしたこともない。
こんなにもあっさりと人間関係って終わるんだなって、その手応えのなさに拍子抜けしたことを覚えている。