集合住宅

蛇の道はheavyだぜ

理想像が具体的になる

二十歳になると焦る。自分の年齢が10代から20代になってしまった。
三ヶ月ほど付き合った末別れた人が一人いるため、私の経験値はゼロではないのだが、数字で表すなら0.3ぐらいだと思う。確実に1に満たない。私が大学を卒業したら22歳。焦る。世の中の人たちが私と同じ歳の時に経験してきた事柄をずっと私は経験せずに、欠落したまま生きていくのだろうかと思うとめまいがする。

交際経験が乏しいにも関わらず、二十歳になって少し結婚を意識するようになった。強い結婚願望があるわけではないが、漠然と自分は将来結婚しているのだろうなという風な想定をしている。甘いよね。でも一人で老いて死んでいきたくないよ。

今日、S氏と電話をした。彼女とは友人になって8年経つが初めてまともに恋バナをした。お互い歳を取ったのだと物悲しくなる。
(一年前に相談をしたあれは恋バナに含まれるのだろうか…?微妙)
Sは『工学部に気になる人がいるのだが、今年の四月に話しかけられて以降、何も進展がない。どうしたものか』というようなことを言っていた。
彼女は一浪して獣医学部に入っている。卒業したら25歳。何の経験もないまま社会に野放しにされることが恐怖でならないらしく、カレピッピを大学で見つけたいようである。

今まで誰かに好きなタイプを聞かれても、具体的なものが全然出てこなかったのだが、近年物凄く具体的なものが出てきていてそんな自分に驚いている。
ただし、私には物差しが以前交際したその人のみであるため、『その人のことがトラウマになってるじゃないか』と友達からは笑われてしまったけど。


1 ちゃんと首がある人
首が綺麗なひとというのは結構限られる。太っている人や背の低い人で首の綺麗な人はあまり見られない。
別に首が綺麗でなくてもいい、ただちゃんと首がある人がいい。太り始めると首という部分は如実に分かりやすくなり、肩が上がって首が太短くなって首がなくなってしまう。
ちなみに以前交際していたその人には首に肉がついていて、首がなかった。

2 猫が死んでも私のせいにしてこない人
一時期は『猫を飼っている一人暮らしの人にろくな人はいない どこか人間としての欠損がある人物に違いない』などという飛んだ偏見を持っていたのだが、最近は柔和になり『一人暮らしで猫飼ってもいいけど、猫が死んでも私のせいにしてこなければいいよ』って思っている。完璧にトラウマになっている。

3 必要最低限の清潔感があること
汗をかいたら臭いを発生させるのは仕方のないことだし、私ももう少し柔軟にならなければいけないところはあると思う。しかし相手にも多少は気を遣っていただきたい。お互いいいところで折り合いをつけたい。(トラウマになってる)


4 人からお似合いと言われて腹が立たない
(トラウマになってる)

5 私のことを一生下の名前で呼んでくれること
私は下の名前で呼ばれることを特別なことだと考えている。中学高校ではほとんどの人が私を稲森さんと呼び、一部の仲のいい友達と家族だけが私のことを『雫』と呼んでいた。

大学でサークルに入った当初、アカハライモリを飼っているという理由で『いもり』というニックネームで呼んでもらうようにした。『大して親しくもないけど同じサークルのよしみということだけで下の名前で呼ばれるのは嫌だ。私のことを下の名前で呼ぶのは特別な人だけだ。』と思ったからだ。
特別なものは特別扱いしたい。私は特別扱いをするのもされるのも大好きなのだ。

うちの父や母はお互いを呼ぶときは名前で呼び、私に話すときにはお母さんお父さんと言い、器用に使い分けていた。
また父方も母方の祖父母もお互いの名前を呼んだり、『あなた』というその人だけを指す呼び方をしている。それが当たり前の家で育った。

だから幼い頃にテレビドラマで、ソファーで寝そべっている夫が奥さんを『ママ』と呼んでいる姿を観たときはびっくりした。えっ、誰のことを呼んでるの。確かに奥さんは子どもがいて『ママ』ではあるけどあなたのママではないでしょって。

家に帰って夫にママとかお母さんとかお母ちゃんとか、そんな世俗的な呼び方をされるのは嫌だ。
(でも親同士がお父さんお母さんと呼びあったり、パパママと呼びあう家は多いようである。)


私がもし家庭に入ったら、私を今まで雫と呼んでくれた友達とは縁遠くなるだろう。仕事を得たり母になったりしたら、
『稲森さん』だとか『○○さんの奥さん』だとか『○○ちゃんのママ』だとか役職名だとかで呼ばれるようになる。
きっとどんどん下の名前で呼ばれる機会は減るのだろう。私のことを雫と呼んでくれる祖母も母も父も、きっと私が40~50歳にかけての間に皆死んでしまっているだろう。
私がお母さんになってもおばあちゃんになっても、ずっと名前で呼んでくれるのはあなたぐらいしかいないんですよ。せめてあなたぐらいは私のことをちゃんと名前で呼びなさいって思う。

6 私の話をちゃんと聞いてくれる
女という生き物は話を聞いてもらいたい生き物だ、などと自分の意見を女すべての意見であるように言うつもりはないが、少なくとも私は自分の話を聞いてもらいたいと思っている。私が話しているときに話の腰をバッキバキに複雑骨折させてくる人と以前話したのだが、正直もやもやとした。かといって私自身はそんなに人の話が聞くのがうまいようには思わない。自分は出来ないくせに人には話を聞けだなんて、なかなか虫のいい話だな。でも理想だから許してください。


もし結婚するなら男の人は共働きであることを求めるだろう。今まで自由に使えていたお金を圧迫してくるだけの存在なんて必要ないだろうから。私は職がなければ、親を幸せに出来ない上に結婚も出来ないということになる。修羅だ。