集合住宅

蛇の道はheavyだぜ

退廃未遂

いつからか自分にはある恐怖が付きまとっていた。
『私が演じている私の皮を剥いだその奥には、つまらない私しかいない。』と。

私は人と話していて時折ひやりとする。私が本当はつまらない人間であることがバレてしまったのではないかと。私は自分の底を知られることが怖い。真実が白日の元に晒されたとき、人々からは心底見放されるだろう。今まで対等だとして扱ってきた私のことを、「学ぶことを捨てた下衆」だと気づき、軽蔑するでしょう。

『精神的向上心のない者は莫迦だ』と云う有名な言葉がありますね。そうです。私は莫迦なんです。私には意欲がない。意識もない。出来れば何も学ばずに、何もせずに生きていけるならそうしたい。思い返せば私は学業に、いいえ学ぶことに熱心だったことはありませんでした。私はいつも怠惰で、腐っているのです。努力をした覚えなんて一度もありません。いつだって自分が楽な方に身を任せ、行き着いた先もまた自分が楽をした結果なのだと思うと妙に腑に落ちるのでした。
ある時私の脳裏に「頑張らない人間に最終的に訪れるのは死だ」という言葉が過ったことがあります。このまま何かに頑張ることもなく生きていたら、選択肢は先細るのだろうなと。
学ぶことは楽しいことなのでしょうか。今の私にとっては「しなければならないこと」であり「強迫観念」です。私は学ぶことを楽しいと思ったことがあったのでしょうか。

私はもしお家が大金持ちだったらきっと働かないでしょう。しかし残念ながらうちの家は一般家庭です。働きたいというよりも、働かなければなりません。しかし働くためには、雇ってもらうためには勉強しなくてはいけないし、また雇ってもらったあともずっとずっと学ぶことは続くのだと言います。学ぶことからは逃れられないのでしょう。生涯学習です。

中学高校もあまりまともに勉強をしませんでしたし、私の知識は恐らく現役中学生に劣るのではないでしょうか。それを恥と思うことも忘れて体裁だけを取り繕い、それでいて新たに学ぶことをしようとしない。


高校生の頃は小説を読むのが好きでした。本を読むとなんとなく利口になれた気がしましたし、自分の意見がなくても、虎の威を借る狐のように、自分よりも賢い人の意見をさもや自分の考えであるかのように振る舞ってみたりも出来るからです。でもそれは張りぼてです。
数年前に図書館で借りて読んだほとんどの本の中身は、断片的にしか覚えていないものが大半です。私は沢山本を読みました。一年で300冊ぐらい読んでいたように思います。しかし私は本を『数』で言うなら沢山読んだかもしれませんが、本当の意味でちゃんと、一字一句をかみ砕き咀嚼し自分のものにした本は一体何冊あったのかと思うと疑問です。

元々日本文学に興味を持って大学に入ったはずなのに、皮肉にも大学に入ってからの私はそれに興味を失っていました。そうやって俗っぽくなっていく自分をぼんやりと見つめて、デカダンな日々に浸っていました。ある種それは、人によっては笑い飛ばしたくなるようなナルシシズムです。


変わりたいと思うのです。本当に。何度も決意をするのですよ。でもその度に私の決意は何倍もの体積を誇る怠惰の渦に呑まれてしまうのです。


(最近、本を読むのが少し楽しくなって、好きな作家に影響された文章が書いてみたくなりました。如実ですね。)