読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

集合住宅

蛇の道はheavyだぜ

淡路島『ナゾのパラダイス』に赴いてしまった時の話

ナゾのパラダイスを知ったのは、高校一年生の頃だった。 私が所属していた生物研究部の活動で、立川水仙郷付近のフィールドワークをすることになった。この部活は『外部の友達を連れてきても構わない』ようなとてもゆるい部活だったので、私の友人のZも参加していた。
 
立川水仙郷に行く道中、不思議な看板を目にする。
『立川水仙郷 ナゾのパラダイス』と書かれた看板があった。どうやら立川水仙郷にはナゾのパラダイスという不穏な名の施設があるらしい。『ナゾ』という単語と『パラダイス』という単語が我々の好奇心を駆り立てる。しかもその看板にはとても手作り感があり、それがかえって私たちに好感を持たせた。
 
 
部活動の後、顧問の先生と私とZでナゾのパラダイスを訪れた。
その楽園はどこか寂れた雰囲気と手作り感かあり、時代から取り残された独特の雰囲気を放っていた。その入り口に向かうと、『18歳未満の方はご入場できません』という注意書きがあった。
そして、ここがどういったパラダイスであるかを薄ぼんやりと理解した。それを見て先生は『ごめんなさい、僕は先生としてここに引率することができません』と言った。
そうですね、もしここに引率していたら、『男性顧問、女子生徒二名を秘宝館へ引率』って見出しで朝刊を賑わしてしまっていたかもしれません。部活動で来るにあたって絶対に適切ではないですからね。それにその時私もZも当時はまだ18才未満だったから入る資格もないし、その時は何も見ずに引き返したのだ。 
 
秘宝館、ってご存じですか。そう、ナゾのパラダイスは秘宝館だったのです。
 
 
それから二年後のできごと。高校の卒業式は終わったもののまだ大学生活も始まっていない、高校生でも大学生でもなかった三月のこと。
私はあと数日で淡路の外を出て、そこからはひとり暮らしが始まることが決まっていたし、Zもまた予備校に通うためにあと数日後には淡路の外を出て寮に一人暮らすことが決まっていた。ばらばらになってしまうその前に、最後に私たちはずっと自らの後ろ髪を引き続けていたナゾのパラダイスと決着をつけようと考えた。もう私たちは18歳になったのだから、その楽園を見る権利がある。その楽園を見なければ、真の大人にはなれない。これは私たちの何か一つの区切りであり、あるいは儀式であり、また思い出を作る行為になるのだろうと思っていたのだ。
 
念願のナゾのパラダイスに足を踏み入れたとき、私はいたたまれない気持ちになった。「秘宝館」というものについてあまりよくわかっていなかったし、具体的にどんな展示があるのかもわかっていなかった。ただ漠然と「18歳未満の人が見るには有害なものを展示している」ということをふわっと理解していただけだった。
直接的にアレなものたちが自分の目に嫌でも入ってくる。それに目を背けたら、今度はその目を背けた先にまた不健全な展示がある。視覚から入ってくる情報が当時の私には過激すぎた。それに、友達と一緒に来ているのもあってその展示をまじまじ見るのもなんとなく恥ずかしい。ほかのお客さんや友人からその展示を見ているところを見られることが恥ずかしい。秘宝館にいる私、を俯瞰で見てしまうとその場所にいるのがいたたまれなくて、居心地が悪くて、弾んでいた言葉も何一つでなくなってしまう。
展示を見上げるために半歩後ろに下がった。すると背中に何かが当たる感覚があった。それを咄嗟に「人」だと判断した私は「あっすいません」と言い、振り返った。そこにあるのは人ではなく、自分の身長と同じぐらいの大きさの木製の男性器のオブジェだった。恥ずかしさが胸までこみ上げてきて、頭の中が真っ白になった。友人はそれを見て笑いをこらえていた。しかし私のテンションはどん底にまで下がってしまった。
この場所に対しての羞恥心を覚えたのは友人Zも同様だったようで、彼女のテンションも下がっていた。全部を丹念に見ることもなく、どちらからともなく「もう出ようか」という言葉を口にした。ナゾのパラダイスを出て、自らの心を慰めるかのように、取って付けたかのように「水仙綺麗だね・・・」「うん、水仙綺麗だね・・・」と言い合った。このままの気持ちで車に乗るのも、このままお別れするのも嫌だった。しばらく会えないかもしれないのに、こんなしょっぱい思い出では嫌だ。と思い、「Zちゃん、まだ時間はあるか?」と聞いた。
 
車で海沿いの道をずっと走り続けた。そして、Zが中学までを過ごした街を目指した。ずっと長い一本道で、それに沿うように常に青い海と青い空が目に入った。
音楽はクラシックのピアノ曲を流していた。窓を開けると塩を含んだ海を感じる爽やかな風が入ってきて、それが快かったことを覚えている。私はとってもおしゃべりで、話すことが大好きだけれど、同様に気詰まりではない快い無言の空間を愛している。どこまでもどこまでも彼女と、遠くへ行きたいと思った。