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蛇の道はheavyだぜ

出産レポート 松本隆さんとのご縁

7月16日の午前6時2分に男の子を出産しました。その時の出来事を残しておきたいと思ったのと、産後のホルモンバランスで全然眠気が来なくて頭が冴えてしまうので暇つぶしに書こうと思います。(現在入院中)





7月12日 40週2日目の検診で病院に行きました。大阪市から渡される控除のクーポンは39週で使い切るため40週からの検診は自費になり、40週からは通院が週1回から週2回に増えます。

その時には「次は土曜日の7月16日に予約をとってほしい。子宮口は2cmぐらい開いているから、土曜日の予約を待たずに陣痛が来るかもしれない。

41週中には出産しないといけないので土曜日来てもらった時には入院の話になったり、促進剤の話になると思う。」といったような説明を受けました。

診察の終わりに土曜日の空きの時間を見ると9時半しか空いていませんでした。私は内心「だる……」と思いました。いつも14時前後に予約を取っていて、9時半は朝早くてめんどくさいなと。それに土曜日の予約では促進剤とか、バルーンだとか、もしかしたら状態によっては帝王切開の話になるかもしれません。あまり楽しい話が聞けるような診察ではなさそうです。

でも土曜日の予約を待たずに陣痛が来るかもしれないとも言われました。行かなくて済むなら朝早い時間になろうが関係ないと楽観的な気持ちで予約のボタンを押しました。よし息子よ、めんどくさいし行きたくないからなんとか9時半の予約よりも前に産まれてくれないだろうかと思いました。


基本的にメンタルが安定している私なのですが、7月中は気落ちした日々を過ごしていました。

皆様の記憶にも新しい悼ましい事件のニュースを見て自分の個人的な悲しみを思い出して泣いてしまったり、予定日を過ぎても何一つ兆候がない現状の不安、SNSとの付き合い方に対しての不安などそれらを友達に洗いざらいぶちまけて楽になってしまおうかという衝動に駆られそうになったのですが、こんなん言われても友達も困るよな…と冷静になり、私は口をつぐみこの子が生まれてくるまでは毎日一万歩を歩くのだと決め、予定日の7月10日からは毎日一万歩以上を歩くようにしていました。


歩いていればその時間は何も考えなくていいし、スマホからも離れられるし体も鍛えられる。iPhoneなら数字として記録されるからやりがいもある。目的もなく一万歩を歩くために一万歩を歩くのはしんどいが、どんな手段を使っても41週6日までには生まれてくるのだから先は見えている。出産という大変なことがこの先待ち受けているのだからそれぐらいできなきゃ…と半ば意地のように、安産と9時半の予約に行かなくても済む願掛けのように、一万歩を歩きながら10日から15日までを過ごしました。


7月15日 今日まで出産の兆候が何もないまま日々を過ごしていました。

日中は7月から日課として毎日続けている一日50回のスクワットをやった後腰に違和感を覚えたので、願掛けの一万歩は電車に乗らず近所をうろうろして過ごしました。


19時ごろに今まで見たことないような量の粘液栓を確認し、少しお腹の痛みを感じたため夫にラインで「今日兆候があるかもしれない」と送ります。

19時半ごろから10分間隔の規則的な痛みがあり、今までになかった兆候を感じ心がソワソワします。産院からは陣痛が5分間隔になったら連絡してほしいと言われていたため陣痛の間隔を計測するアプリを使って陣痛をカウントしていました。

その時の気分は正直嬉しかったです。何故なら今から陣痛が来れば行きたくなかった9時半の予約に行かずに済むし、この子が7月16日生まれになる可能性が高いからです。私はいつ生まれてきてもいいけれど予定日から遅れてくるなら7月16日がいいなあと思っていました。

7月16日は私の好きな作詞家の松本隆さんの誕生日です。

私は5月27日に神戸の喫茶店松本隆さんに偶然お会いすることができ、サインをいただくことができました。

松本隆さんは現在神戸にお住まいで、行きつけとして有名な喫茶店があるのですが、神出鬼没な方ですしそこに行けば必ず会える方では当然ありません。とても運が良かったと思います。

その日はお一人でプライベートで来られているようだったのでこちらも声をかけやすく、サインをお願いします。母子手帳でもいいですか?と言ったら笑ってサインを受けてくださいました。

向こうも妊婦から母子手帳にサインを求められるということが珍しかったのか記念に写真を撮りたいとおっしゃられ、私とのツーショットが松本さんのスマホの中に収められ(とても凄いことだ)おかげでこちらも私もツーショットがほしいと言い出しやすく一緒の写真まで撮ることができました。

いつ産まれるんですか。7月です。元気に生まれてくるといいですねと言葉をかけていただいたと思います。舞い上がっていて詳細を忘れてしまっているのが残念ですが、とても好きな人から私の子どもが元気に生まれてくるようにという言葉をかけられ、サインをしてもらえたことはこれ以上ない安産のお守りになるなと思いました。私の妊婦生活の中でも特に記憶に残る素敵な思い出でした。





7月16日にこの子が生まれたら運命だ。最高だと思いました。陣痛が来るたびに「おっう陣痛陣痛!」と言ってはしゃいでいるのでそれを見て夫が笑っていました。


22時、陣痛アプリでの計測が5分間隔になった時私は産院に電話をかけ、夫に車で連れて行ってもらいました。夫の入室は立ち会い時のみしか許可されていないので、診察の間は待機してもらいます。この時間は消灯しており、インターホンを押して中に入りました。

内診をしてもらったところ子宮口は全然開いておらず、これは前駆陣痛だと言われました。こんなヘラヘラ陣痛陣痛と笑っていられるようなものが陣痛のはずがなかったのです。私は恥を忍んで恐る恐る尋ねました。

「明日生まれてきそうな感じはないです?」「現時点ではないですね。陣痛アプリはつけなくていいですよ。陣痛の間隔よりも息ができなくなるぐらいの痛みがきてるかどうかなんで。もし何もなければ明日の予約の時間通りに来てください。破水か生理のような大量の出血が出た時、痛みが強くなったら連絡ください。」と言われました。子どもが寝ているので30〜40分ぐらいNSTテストをされ、自宅に帰されました。持ってきていた入院の荷物は預かってもらえると聞いたのでお願いしました。


帰りの車中ではしょんぼりしていました。せっかく夫に連れてきてもらったのに悪いなあと思っていたし(さらに待たせてるし)どうやら16日には生まれて来なそうだし、9時半の予約には行かなきゃいけなくなりそうだ。今回の診察の請求は受付が閉まっていたため明日の予約と合算されるらしく、時間外の自費の診察代と明日の診察代でいくらになるんだろう。火曜日の診察では9400円の請求でした。


家に着いたのは23時ごろでした。23時から4時50分までを自宅で待機して過ごしたのですが、この時間の間に本陣痛があったみたいです。

でもその時の私はそれが本陣痛だという自覚がなく、前駆陣痛だと思いながら過ごしていたため頑張って9時半まで耐えて一人で病院に行こうと思っていました。

特に時間の経過が長く感じたのは0時から1時の間で、全身は汗びっしょりになり頭はキンキンしてクラクラする。夫が「前駆陣痛は人によっては2〜3週間続く人もいるらしい」とスマホで調べてくれました。こんな痛みが3週間も続くなんて絶対気が狂うよ妊婦さんすごいな…って思っていました。これが続くとしたら私の場合最大1週間もあるかもしれないのか…と絶望的な気持ちでいました。

元々生理痛が重い方だったのもあり本陣痛の痛みを今まで経験したことがないほどの痛みだとは思わず、ある程度既視感のある痛みだなと思っていました。陣痛には波があるため痛いのは痛いのですが引く時を待っていれば大丈夫と感覚的にわかったため、寝返りを打ってはゆっくり深呼吸をしたり、IKEAのサメちゃんを抱きしめて気を紛らせていたり、スマホを見たりして過ごしていました。痛みがどんどん強くなってくるのを感じながらスマホで本陣痛について調べているとちょうど同じような状況の人が発言小町で「自分の痛みは本陣痛ではないでしょうか」と相談しているのを見て、アンサーに「これが本陣痛だったら痛過ぎてそんな書き込みしていられないはずです」とあり、やっぱりそうだよね…と思っていました。私は普通にスマホが見れている(痛みだけに集中するよりは気を紛らわせて時間を経過させたかったからもあるけど)

何時だったかは忘れましたがカイロを貼ってからは少し時間の進みが早くなり、痛みに慣れ出した3時ぐらいからは10分から20分単位で時が進むのを早く感じていました。


トイレに行った時に夜用のナプキンに生理2日目ぐらいの大量の出血がありました。助産師さんの言っていた電話する時が今だと気づき電話をかけ、夫に車で送ってもらいました。電話をかけたのが4時50分です。病院に着いたのは5時5分ぐらいだったと思います。

その時には車の中で息も絶え絶えで、これで本陣痛じゃなくて前駆陣痛でまだまだなんでと自宅に帰されたらどうしよう…9時半に自力で病院に行くのが本当に嫌だなと思っていました。

2回目のインターホンを押して息切れしながら自分の名前を名乗り、エレベーターの二階のボタンを押して二階に上がるまでを待つ間少ししゃがみ込んだ時やっぱり今本陣痛が来てるんじゃないか?とここでやっと自覚しました。

(でも扉が開いて二階で待ち構えていた助産師さんを見てすっと立ち上がってスタスタ歩きました。基本的に私は元気です。)

内診をしますね、と言われ「子宮口が全開ですね」と言われました。今までの内診で1センチ、1.5センチ、2センチと細かい単位で言われていたのにいきなりセンチではない単位が出てきたため、ゼンカイ…?ゼンカイって何センチなんだろうとぽかんとしていました。

(出産後他の人の出産レポを読んでみたのですが、いきみ逃しの時間がつらかったとか、子宮口が6cmからなかなか先に進まなくて全開になるまでの間に辛くて泣いてしまっただとか私の知らない大変そうな工程が2〜3個ぐらいあるのを見て、私の出産はほんとなんなんだろうと思います)

「これもういきみたい感じですね!」と助産師さんに言われ、そうなの…?となる。「今から生まれそうなんで旦那さんに待っててもらうように言ってください。」「ここまでよくおうちで頑張ったね。」「辛かったね。」と声をかけられ、そうだよ確かに私は辛かったんだ…と思いながらそのスピード感についていけずぽかんとしたままあたたかい言葉を浴びながら「わあなんかみんなめっちゃ褒めてくれる…嬉しい…」って思っていました。

22時の時点では何センチだったのかはわかりませんが産まれる兆候は見られないと言われていたので、23時からここに来るまでの6時間で全開までいったんだろうと思います。初産婦にしてはかなり早いスピードなんじゃないでしょうか。とにかくこれでこの子の誕生日は7月16日になると確定しました。やっと我が子に会える。しかもこの子は松本隆と同じ誕生日だ。


分娩までの準備が整えられ、5時19分に私のスマホから助産師さんが夫に電話をかけ、立ち会いの入室が許可されました。

夫の立ち会いは希望はしていましたが、個人事業主で抜けられるような仕事ではないため半ば諦めていました。(夫は私の出産を見届けた後出勤していきました)

事前にあまり立ち会いの打ち合わせをしていませんでしたが、夫がいてくれてすごくよかったなあと思います。いきむ時に背中を支えてくれたり、お茶いる?と気にかけてくれたり、何度も声をかけて応援してくれました。何よりいてくれることに強い安心感があります。


分娩の痛みは確かに痛いものではあるんですが、アドレナリンが出ているし、耐えていた痛みとは違ってポジティブな痛みだからそこまで辛いと思いませんでした。陣痛の時間で痛みに慣れたのもあるだろうと思います。おうちにいた時間の方がはるかに辛かった。とにかく一生懸命だったのであまり時系列は覚えていませんが、先生や助産師さんたちが上手上手と声をかけてくれてモチベーションを上げてくれたことを覚えています。いきみながら産まれる直前ぐらいに「今から破水しますよ」と声をかけられました。風船が割れるような感覚が確かにありこれが破水なのかと思いました。どこの位置に止まっていても辛いから早く前に進みたい。陣痛が来るのを待ちながらいきみました。一番痛かったのは股間が裂けそう!と思った時です。あれが瞬間最大風速の痛みでした。

「もう頭が出てきましたよ」と声をかけられた時に「えっもう?」と思いながら股に手をやってみると確かに水風船のようなやわらかいぷにぷにとしたものがありました。胎児の頭ってこんなに柔らかいのなら鼻からスイカよりも絶対楽だよなあと思ったことを覚えています。

会陰を切った時には陣痛の今までの痛みで全くわからないと聞いていたのですが全くその通りで、特に何の感覚もありませんでした。

助産師さんが「そろそろ生まれそうなんで旦那さんはカメラの用意をしてください」と言いました。来てもらえるかどうかもわからないけどまあどちらかといえば希望かなという感じでバースプランに夫に撮影してもらうと書いていたのです。いらなかったら後で消したらいいし頼んだ!と撮ってもらいました。

7月16日6時2分 息子が生まれました。

生まれてきた時はドゥルンとした固形物が目の前に現れた混乱に実感がないままぽかんとしていました。マスクもつけているし胸の上で抱いていて顔が見えないので、夫にどんな顔をしているのか見せてと撮ったスマホの写真を見せてもらいました。

体力的に全然余裕があったので産んでまもなく家族や友達にラインで報告していました。

夫が私の入院バッグに入れたペットボトル用ストローを探している時に、鞄に入れていたCDを見つけました。バースプランの打ち合わせの際に、CDを流せる環境があると聞いていたので持ってきていたのです。あまりのスピード感に忘れていました。どれを流す?と聞かれます。持ってきていたのは、シュガー・ベイブのsongs、オリジナル・ラブ風の歌を聴け鈴木茂のBAND WAGON、そしてはっぴいえんどの風街ろまんでした。

7月16日に生まれてきたこの子に流すのはこれしかないだろうと思いました。

はっぴいえんどで!」




分娩室にゆったりとした懐かしい音楽が流れます。子どもにとってはじめて聴く”歌”です。(それまでは病院がヒーリングオルゴールみたいなのを流してた)音楽が流れ出してから子どもが激しく高らかにギャン泣きし始めました。明らかに驚いた反応を見せていました。その時はあまりのギャン泣き様に困惑し「もしかしたら嫌だったのかな。子どもにあまり親の趣味を押し付けすぎないように気をつけよう…」と思いました。




安産には定義がないらしいのですが、これを安産と言わずに何を安産と言うのでしょう。

目まぐるしかったけれど出産は面白い経験だったなと思っている自分が怖いです。なんなら楽しかったなと思っている。もしかしたら私は自分で思っているよりも痛みに強くかなりたくましい人間なのかもしれません。自宅で待機していた本陣痛の間も、もし誰かが「これ前駆陣痛じゃなくて本陣痛だよ」と教えてくれていたら、ヤッター松本隆と同じ誕生日確定じゃんと思ってその時間すらもう少しポジティブに過ごしていただろうと思います。

そういえば母に昔私を産んだ時どうだったかを聞いたら、「めちゃめちゃに安産であんたのこと2回いきんで産んだで。助産師さんとのタイミングが合わなかったから2回になったけど全然ポテンシャル的には1回でも出せた。」と得意げに語られたことがあるぐらいで、一度も出産が大変だったと言う言葉を聞いたことがありませんでした。週数が増えるに連れてもっと出産のこと詳しく教えといて欲しかったなと思ったのですが、私も流石に2回きばったら出てきたわとまではいかなくても似たような感想になりそうだなあと思いました。私も母とよく似たとてもがっちりした骨盤を持っています。


この安産は松本隆さんのサインをいただけたからなのかもしれません。初産婦は陣痛から子宮口が全開になるまで12時間ぐらいかかると言われています。こんな置いて行かれてしまうほどスピーディーにお産が進んで7月16日に生まれてくるのはなんだか気持ちが悪いぐらい運がいいような気がします。あの時お会いできて子どもが同じ誕生日に生まれてくるのはどうしても不思議なご縁というか、運命というか、スピリチュアルなことしか言えないのですが本当に何かに導かれているような感じがあります。

松本隆さんならそんな力があっても不思議ではありません。だから予定日から6日も遅れたのかしら。みなさんももし松本隆さんに会う機会がありましたら母子手帳にサインをもらってみてください、なんて。



それともうちの子がとってもお母さん思いで本当はもっと早く生まれて来れるけどこの日に生まれてきたら喜んでくれるかなと思って待っててくれたのかしら。そうだったらかわいいな。実際私は「もし遅れてくるなら7月16日なんてどうよ息子ちゃん」と冗談でお腹に語りかけていました。それならパパもいる時間がいいよねって思ったのかな。


7月16日の6時2分。それは行きたくなかった予約の時間よりも前で、仕事を抜けられない夫が出勤前に立ち会ってくれる時間でもあり、ギリギリ41週にはならずに済み精神衛生上も良く、なないろの語呂で虹の日でもあり、松本隆と同じ誕生日であり私にとってこれ以上ない最高のタイミングで生まれてきてくれました。



出された朝食も食べ終わり、やってやったぞという思いで予約の9時半の時間を迎えることができました。


7月16日生まれの息子ですが、たいへん食欲旺盛で、生後3日目までは体重が生理的に減少すると事前に聞いていたのに驚くほどの食欲で母乳を飲み、2日目の時点で体重が前日よりも増えており、きっとすくすく大きくなるだろうなと思います。目がくりくりでかわいいよ。

退院したらみんなに見てもらいたいなあ。

横光利一 春は馬車に乗って 感想文

「春は馬車に乗って」の魅力を三点にまとめるとしたら

①余裕と冷静さを失っていく夫の変化

②夫婦の関係性の変化

③スイトピーがもたらす効果

 

であると私は考えている。

 

最初の場面で印象的なシーンがある。妻が松を見ているとき、夫は亀を見ている場面だ。同じ景色を見ているのに違うものを見ている二人の関係性にも触れられているかのように感じられる。

この頃の夫はこう考えていた。

『彼は自分に向って次ぎ次ぎに来る苦痛の波を避けようと思ったことはまだなかった。(中略)彼は苦痛を、譬えば砂糖を甜める舌のように、あらゆる感覚の眼を光らせて吟味しながら甜め尽してやろうと決心した。そうして最後に、どの味が美味かったか。――俺の身体は一本のフラスコだ。何ものよりも、先ず透明でなければならぬ。と彼は考えた。』

自らの苦痛に対してどこか客観的なような、苦痛を味わい尽くそうというような余裕すら感じられる。

 

場面が変わり、夫は妻の好物の鳥の臓物を探しに行く。私は最初読んだとき鳥の臓物など病人が食べる物として思い浮かばないので驚いた。血生臭く、野性味と「生」に溢れたものに対して、妻は食べたくて仕方がないという「食欲」を見せている。

妻は「あなたは私のことなどどうでもいいのだ」「仕事のほうが大事なのだ」といった嫌味を口にする。そんな妻の嫌味に対して時折夫は逆襲しようとする。感情的でありながら、病人特有の聡明さで核心をついてくる妻に対して、夫は冷静かつ論理的に相手を論破しようとする。

病床に臥せる妻に他のものは何もなく、夫しかいないのである。だから少しでもぞんざいに扱われたように感じると不平を言いたくなるのだ。しかし夫は妻の「檻の中の理論」を理解することが出来ない。

確かに二人が生活していくためには現実的にお金が必要であり、そのお金を稼ぐためには夫は働かなければならない。夫は妻のいる内側の世界と、自分がお金を稼いだり社会的地位のある外側の世界とどちらにも身を置いている。他のものがない妻にとって、夫が外側の世界を逃げ道や息抜きに使っているように感じられ、夫の冷静な態度に対しても苛立ちを覚えている。

 

臓物を食べたくて仕方がなかった描写から一転して、妻は臓物を食べたがらなくなり、それよりも聖書を読んで欲しいとリクエストするようになる。相変わらず妻は夫に対して嫌味を言い続けている。それに対して夫は、妻が元気だった頃に受けた嫉妬よりも病人から発せられる言葉のほうがやわらかで、今のほうが幸福ではないかと現在の生活に「余裕」を見出す。その笑みを妻は見逃さず、「いいわ、あたし、あなたが何ぜ笑ったのかちゃんと知ってるんですもの」と苦々しそうな態度で口にする。

 

そんな「余裕で冷静な態度の夫」と「それに対していらだちを隠せない妻」の関係性に変化が見られるようになる。

妻の看病と寝不足、そして看病にかかるほどに仕事ができなくなり、治療費や生活に困るといった現実が夫を疲弊させていく。

 

『「あなた、もっと、強く擦ってよ、あなたは、どうしてそう面倒臭がりになったのでしょう。もとはそうじゃなかったわ。もっと親切に、あたしのお腹を擦って下さったわ。それだのに、この頃は、ああ痛、ああ痛」と彼女は云った。
「俺もだんだん疲れて来た。もう直ぐ、俺も参るだろう。そうしたら、二人がここで呑気に寝転んでいようじゃないか」
 すると、彼女は急に静になって、床の下から鳴き出した虫のような憐れな声で呟いた。
「あたし、もうあなたにさんざ我ままを云ったわね。もうあたし、これでいつ死んだっていいわ。あたし満足よ。あなた、もう寝て頂戴な。あたし我慢をしているから」
 彼はそう云われると、不覚にも涙が出て来て、撫でてる腹の手を休める気がしなくなった。』

 

ここで、夫が今まで見せていた余裕の仮面が剥がれる。冷静さと余裕の仮面が剥がれた夫の姿を見て妻もまた態度を軟化させるようになる。

撫でる手を止められなくなっている夫の、優しさが描写されている。

 

次の場面では、医師に「妻はもう長くない」と宣告される。それを聞いた夫は酷くショックを受け、乱れた心を整えてから妻の元に戻る。

その時に妻は黙って夫の顔を見つめ、

『「あなた、泣いていたのね」と妻は云った。』


序盤に見せていた夫の余裕のある態度は崩れ、跡形もない。泣いていたことに気づく妻が美しい。私はこの一文がとても好きだ。


『――もう直ぐ、二人の間の扉は閉められるのだ。
 ――しかし、彼女も俺も、もうどちらもお互に与えるものは与えてしまった。今は残っているものは何物もない。』

夫は以前のような態度を取ることはなくなり、妻の言うことに対して機械的に動くようになる。そして妻は「死」を受け入れた日々を送り、夫への遺言を書き、自分が死んだ後の骨はどこに行くのだろうかと考えるようになる。夫は救いを求めるかのように、あるいは答えを明言するのを避けるように聖書を読み上げる。

二人は完全に死の準備をしていた。

 

そんな中で知人からスイトピーが届く。

『或る日、彼の所へ、知人から思わぬスイトピーの花束が岬を廻って届けられた。
 長らく寒風にさびれ続けた家の中に、初めて早春が匂やかに訪れて来たのである。
 彼は花粉にまみれた手で花束を捧げるように持ちながら、妻の部屋へ這入っていった。
「とうとう、春がやって来た」
「まア、綺麗だわね」と妻は云うと、頬笑みながら痩せ衰えた手を花の方へ差し出した。
「これは実に綺麗じゃないか」
「どこから来たの」
「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を撒き撒きやって来たのさ」
 妻は彼から花束を受けると両手で胸いっぱいに抱きしめた。そうして、彼女はその明るい花束の中へ蒼ざめた顔を埋めると、恍惚として眼を閉じた。』

 

死を受け入れ暗く沈んだ二人の家に「春」が届けられ、場面は少しだけ暖かく、明るい雰囲気になる。花束では悲しい現実は変えられないし、死にゆく妻の現状は何一つとして変わらないかもしれない。しかし会話文だけでこの二人のほころんだ表情が目に浮かぶようである。冬の描写が長く続いていたところに「春」が届けられることによって読み手に小さな救いを感じさせる。また、こういった鮮やかな場面の変化は、私の好きな作品である芥川龍之介の短編小説「蜜柑」にも通じた点があるように思う。

 

冷静であろうとしていた夫が冷静ではなくなり、夫が守ろうとしている仮面が壊れていく過程が丁寧に描かれており、また死にゆくことで絆を深めていく二人の関係性も自然に描かれている。

教室

(まず最初に近況報告をすると、就職が決まり先日大学を卒業しました。

地元での就職が決まり、現在実家にいます。春からは社会人です。

実家の掃除中、高校生の時に書いた落書きが発掘されたので、懐かしいから書いておきます。特に大したことが書いているわけではありませんが、当時の自分でないと書けない文章かなあと思います。)

 

 

私の言葉はあぶくのようだ。

『この文章はおしいです。必要な単語が一つ抜けています。』と先生に言われた。

私は少し考えた後、differentの後にfromが必要だったのだろうかと思った。

『フロム』と自信なさげに小さな声で呟いた。先生はそれでもdifferentの後の言葉が足りないと言った。

『フロム』とまた自信なさげに、さっきよりももっと小さな声で呟いた。

もしかしたら、fromではなくて別の答えなんじゃないだろうか。だから私の答えに何も言わずに、望む答えを待って問い続けているのだろうか。ならその答えはなんだろう。もしかしたら私は二度も違う答えを言ったんだろうか。

このまま黙り続けて別の人にあててくれたらいいと思うが、この女教師がそういうことをしないのは私がよくわかっていた。

でも私にはfrom以外の答えが見つからなかった。もしかしたら先生に聞こえていないのかもと思ったが、間違った答えを連呼することになるのだとしたら恥ずかしくて出来ない。

女教師の問い続ける言葉と教室の沈黙が私の声を奪っていく。

そして彼女は『differentの続きは……』と言って、黒板に『f』と『r』を書いた。

fromだと私はわかった。そして私は間違った答えを言っていたわけではなく、ただ自分の声が聞こえていなかっただけだと気付いた。

でも、私はちゃんと答えた。どうして二回言ったのに相手には届かなかったんだろう。八つ当たりに近い怒りと、もしこれで答えたらヒントを出してようやくわかったように思われるような気がして、あえてしばらく黙っていた。

それにいくら私が馬鹿とはいえ、親切すぎるヒントにも腹を立てていた。

 

私の言葉はあぶくのようだと言うひどく感傷的でロマンチックな言葉が頭によぎった。

女教師には聞こえていなくても誰か、私の近くに座っている人が気づいてくれて『稲森さんはちゃんと答えていました』と言ってくれるのを期待した。

でも私の声は聞こえていなかった。

私がちゃんと言ったつもりだったfromは、本当は自分にだけ聞こえる幻聴で、元から声など発していなかったんだろうかと思った。

その時隣の席の女子の笑いをこらえる声が聞こえた。その女子は誰かとよく授業中に話す人なので、もしかしたら会話の内容を笑っていたのかもしれない。

しかしあの閉塞感のある教室の中にいた私は、『あいつは女教師があそこまでのヒントを出しているのに、答えがわかってないと思ったのではないか』と思い苛立った。

観念して『フロム』と教室を切り裂くような鋭い声で言った。

その言葉はもちろん女教師に届いた。

 

言った後で私は思った。最初に言った時、私はその答えをちゃんとわかっているわけではなかった。ただなんとなくそう思っただけで、その答えに自信がなかった。それでいて私は、教室の中で間違え続ける勇気もなかった。

だから周りをはばかるような声でフロムと言ったのではなかったか。私がはっきり答えていたなら、こんなことにはならなかった。

私はちゃんと答えていなかった。それなのに私は『ちゃんと答えたのに』とへそを曲げた。そんなくだらない自尊心で黙りこくった私を彼女は嘲笑したのではないか。

そんな卑屈な気持ちにさいなまれる。私の言葉はあぶくのようだ。『フロム』を泡にしたのは先生なのか。それとも私の臆病な自尊心と尊大な羞恥心なのか。

「逃げ恥」に対する複雑な感情

新垣結衣主演のドラマにより逃げ恥こと「逃げるは恥だが役に立つ」は、大ヒットした。逃げ恥の流行りようはもはや社会現象と言っても過言ではない。今年の忘年会でエンディングのダンスを踊った会社はきっと星の数ほどあっただろう。私はドラマ化以前より原作漫画のファンで、ドラマ化も楽しみにしていた。

少女漫画は少年漫画と比べて、登場人物たちの心情表現に特化した内容になっており、実写化に成功しやすい。

(勿論少年漫画原作の実写化でも面白い作品があるが、酷評されている作品に少年漫画原作のものが多いことは言えるだろう。)

原作と比較しながらドラマについて触れさせていただきたいのと、現在の社会現象としての逃げ恥に対する扱いへの困惑について書きたいと感じ筆を執った。

 

逃げるは恥だが役に立つ」というドラマ

まず最初に述べたいのは、私は逃げ恥ドラマのアンチではない。むしろ私はこのドラマは原作とは違うものとして楽しんでいた。すべてを原作通りにしろとは思わないし、原作はまだ終わっていないから同じ終わり方は出来ない。決められた話数で終わらせなければならないドラマでは、変更せざるを得ない点はあるだろう。

しかしドラマ版は二人のラブコメ要素が強く、「お仕事漫画」としての側面は鳴りを潜めていた。原作漫画ではドラマと比べて恋愛描写も非常にさらっと書かれており、ドラマ版を見た際には逃げ恥はこんなにもラブコメ話だったのか?と困惑した。しかしそれも無理もない。漫画を読むときなら抱き合っているシーンを見ても3秒ぐらいで次のページをめくっているが、ドラマならば抱き合った状態では30秒は維持され、背景にはロマンチックなBGMなどが流れる。同じシーンでも非常に「ドラマっぽく」なるのはそういうものなのだろう。このギャップは原作から入った人がドラマを見て皆感じる違和感ではないのかもしれない。しかしドラマで追加されているオリジナルストーリーからもこの作品を「ラブコメ」という要素を重視して作ったのだろうなとは思う。

またドラマ版は人によって感じ方に疑問符を残すであろう原作の部分をある程度マイルドにさせている。例えばみくりさんの思想や平匡さんの性に関するエピソードだ。みくりさんの思想を入れてしまうとどうしても説教臭い内容になってしまっただろうし、軽やかなドラマという作品に取り込むにはあれが限界だったのだろう。私自身みくりさんの思想にすべて賛成しているわけではないが、みくりさんのそういう要素を除いてしまうことに寂しさを覚える。

 

みくりさんという女性

私はみくりさんを新垣結衣が演じると聞いて最初にこう感じた。「私の思っているみくりさんよりも可愛いな。可愛すぎるな。」と。

私はみくりさんを可愛い女性だとはイメージしていたが、それはどこにでもいそうな可愛い女性だった。

仮面夫婦雇用契約という設定自体もファンタジーめいたものであるが、会話シーンなどから現実的な要素を足していた原作に対し、新垣結衣をみくり役にしていたドラマはより現実味から離れていたように感じる。

新垣結衣仮面夫婦が出来るなんて羨ましい。あんな可愛い子が家事をしてくれてあんな可愛い子と生活できるなんて夢のような話だなあ。みたいなそういう趣旨になっていた。

ドラマと原作においてみくりさんという女性像には違いがある。

それはお金に対するこだわりである。ドラマ版みくりさんも青空市を請け負うにあたって、対価のない労働を強いるのは搾取だと言っており、そういう描写が一切ないわけではない。しかし原作のみくりさんのそういった部分は薄められていたと私は感じた。またみくりさんの心理学の院卒という設定も、ドラマでは取ってつけたような役割しか果たしていなかった。ドラマのみくりさんは元彼氏に言われた小賢しいという言葉に縛られているだけで、そこまでの小賢しさは発揮されていなかった。

みくりさんの小賢しさが仮面夫婦というファンタジーを現実的にしていたし、お金のことも気にするが平匡への期待に応えたいみくりの恋愛の葛藤も原作の面白みだった。

 

ドラマならではの面白さ

ドラマになったからこその面白さも勿論あった。例えば配役である。

沼田さん役の古田新太なんかはイメージ通りだったし、原作ではさほど印象的ではなかったキャラクターが(みくりの両親や兄嫁)個性の強いキャラクターになっていたのは実写ならではな面白さだったと思う。

原作の百合ちゃんよりもドラマの百合ちゃんの方がいいと感じたのも実写(以下略)

でも風見さんを何故偽野内みたいな人にしたのかは未だに解せない・・・・

 

流行りとなった逃げ恥

私は逃げ恥がこんなにもヒットするドラマになるとは予想していなかった。何故なら、逃げ恥はそんなに万人受けするような内容ではないと思っていたからだ。しかし、みくりさんの賛否を招く小賢しい面や生々しい話を省き、ラブコメ要素に特化することで見事逃げ恥は大ヒットした。そのヒットの理由が新垣結衣の可愛らしさであることは言うまでもない。エンディングのキャッチーなダンスも話題を呼び、人気につながっている。

ドラマの流行った大きな理由が「新垣結衣」と「ダンス」であることは否定できないだろう。みくり役をぜんぜん違う人がやっていたとしたら、きっとこのドラマは成功しなかった。

しかし勿論だが原作には新垣結衣は出てこないしエンディングのダンスもない。それでも原作に魅力があったのは、結婚を仕事として捉えた斬新な視点と、みくりと平匡の間に生じているズレや誤解の描写、賃金の発生しない夫婦の家事労働にどういう結論をつけるかへの興味などである。

 

 

先述したように逃げ恥はここまで大流行するような内容ではない。しかし実際に逃げ恥は大流行している。

最近は流行の代名詞として逃げ恥が使われはじめ、私はそれに戸惑いを隠せない。

君の名は。も逃げ恥も見ないそんな自分が好き」みたいな、自己表現の材料としても使われ始めている。すごくもやもやしてしまう。いやいやちょっと待ってって言いたくなる。そういう人にこそ向いている漫画なのに。

もし流行る前に手に取っていたら面白いと感じたかもしれないのに、もう二度と手に取られることがないことに対する何とも言えない気持ちからだろうか。それとも流行りものとして捉えられるハードルだろうか。「こんなに流行っているのに面白くない」というような、評価に流行りが加えられてしまうからだろうか。私がその作品を好きなことに流行っているかどうかなんて関係無かったのに、好きと言いにくく感じてしまうからだろうか

私の最も美しい一日のこと 2

ナゾのパラダイスに一人で行った後、車で母方の祖母を迎えに行った。そして家族四人で蟹を食べに行った。

うちはやたらと蟹が好きな家で、贅沢と言えば蟹!というようなところがある。

祖父の告別式の日、本来は父と母は、父の勤め先の慰安旅行で香住へ蟹を食べに行く予定だった。しかし、祖父の突然の訃報のため、キャンセルせざるを得なかった。仕方がないことであるが、それでも蟹にどこか後ろ髪をひかれていたらしい。今日なら雫も帰ってくるし、人からいいところを教えてもらったからということで父が店を予約してくれたのだ。

その店は普段は旅館をしているが、蟹のシーズンである1月から3月にかけては旅館を休止して蟹料理を振る舞っている。日本海から生きたままの蟹を仕入れて、それを食べさせてくれるのだ。
部屋も広くて雰囲気のある個室を用意してくれて、女将さんがついててくれて、蟹を絶妙のタイミングで食べさせてくれる。彼女は常に蟹の具合をさながら万引きGメンかのように注視していて、蟹に火が通りすぎないようにしてくれる。だから焼きすぎたりせず美味しい状態の蟹を食べられる。それでいてこの人がいることになんの違和感もない。不思議な魅力がある。

蟹が美味しいことと、居心地のよい雰囲気もあって、私たちは色々な話をした。

「周りの人の親が死んでも、どこか自分の親だけは死なないような感覚があって、いまだに自分の親父が死んだことに実感が沸かない。もし親に何か大病があったりしたら、こちらも心構えができて死後の色々な処理も事前に考えられたけど、突然の死だと一気にそれをやらなくてはいけなくなる。」
「でもどっちの方がいいとも言えないよね。母方のおじいちゃんは胃がんで亡くなったけど、苦しんで生きているのを見るのも辛いし、でも死んでしまったら楽になれてよかったって思いもあるけどやっぱり悲しいし、複雑だもの。父方のおじいちゃんはトラクターの下敷きになって、別に苦しまずに死んだわけではないけど、でも病気で苦しむよりは楽だったんじゃないかな・・」
「突然死は本人はよくても、身内が辛いんだよ。突然だから気持ちの整理もつかないし。」

というような祖父の死の話や、祖父が亡くなった後の父方の祖母の話をした。
祖父が亡くなったら祖母は車の免許も持っていないし、どうしているのか。一人で寂しくしていないかと聞いたら、伯父と伯母と買い物に行ったり、一緒に晩御飯を食べたりしているらしく、あの二人が親切にしてくれているのだとわかった。
あと父と母が買っているお墓の維持費は私が払うつもりだという旨を伝えたり、母方の祖母が死んだ後に家をつぶして更地にする際に、離縁して行方不明の先妻の息子(家の権利が16分の1あるらしい)に遺産放棄の書類を書いてもらわないと何もできないから自分が死ぬ前に見つけたいという話だとか、なんだか死に関することばかり話していたように思う。蟹を食べて無言になっては死の話。
普段からそんな話をすることが多いわけではないけれど、どうしてだか心が落ち着くところがあった。

自分の親だけは死なない感覚があるという父の言葉の気持ちがわかる。とてもよくわかる。でも父も母も祖母もきっと私より先に死ぬのだ。知っている。呪いの言葉だ。現に父を亡くした父と、父を亡くした母がここにいるのだ。証明されている。だからこそ今日の日のことは大切にしたいなと思った。

祖母は何度も「来年も生きていたらここに来たい」と言う。祖母は私が幼い時から死ぬ死ぬ詐欺を繰り返している。もっと言えば母が幼いころからずっと死ぬ死ぬ詐欺を繰り返している。「私北海道に行くために飛行機に乗るけど、もし墜落したら降りてくる保険金で楽しく暮らしてね」なんてそんなことばかり言うのだ。死ぬ死ぬといいながら、それなりに長生きしてボケずに今日まで生きている。だからきっと来年もまた蟹を一緒に食べられると思う。


「今日2月25日、国立の前期試験の日よね。Zちゃん、受かっているかしら。」と祖母が言った。
私は祖母がそう言ったことで初めて今日が前期試験の日であることを知った。
「そうだね、どうだったんだろう。」
「お前、Zちゃんとは連絡を取っていないのか」と父が問うてきた。
「二浪が決まってから全然何も連絡とってない。あえて言ってこないのかもしれないのに、こちらが踏み込んで聞くことなんて出来ないよ。ちゃんと時が来たらきっと向こうから教えてくれるもの。」
「じゃあ何も知らないんか。もうお前はZちゃんと友達じゃないんだな。」父は切り捨てるように言った。
「そんなことはないよ。」私は反駁した。
「女の子同士だから気を使いあうし聞けないこともあるわよ。デリケートなことなんだから。」と母が加勢する。
「男とか女とか関係ない。もしZちゃんが三浪するにしても、医学部を諦めるにしても、それを相談できる相手はいるのか。もしZちゃんが良くない状態だったとしたら、親にも相談できないで一人で悩んでいるんじゃないか。もっとも、雫よりも仲の良い友達がいてそれを相談できるんなら別だけど。」
「そんな子いるわけがない。」もし大学生になってから新たな友達ができたとしたら別だけど、予備校でそんな友達と出会えるようには思わなかった。それに、同窓会で再会した友人たちは誰も彼女の今後を知らなかったし、心配していた。

彼女の二浪が決まった時を思い出した。親に言うのが辛いって言ってたのを思い出した。今もまた同じことになっているのかもしれない。でも、今日なら聞ける。今日は前期試験の日なのだから、今日はどうだったかって聞けばいいんだ。そう思い、家に帰った後久しぶりに彼女にメールを送ることを決めた。


彼女にメールを送ろうと文面を悩んでいた。聞きたいことはいっぱいあるけど、何を書いていいか分からなかった。
彼女がどういう状態なのか全くわからない。故にすべての可能性を想定してその上でどの場合でも彼女を傷つけないような内容を送らなくてはいけない。落ちているという想定で文章を送るのは失礼だし、受かっている想定で文章を送るのも、相手にとって負担になるかもしれない。「お久しぶりです。雫です。」という一文を書いたまま続きを書いては消してを繰り返している。
私が彼女に言いたいことは何だ。二年間頑張ったねとか?頑張ったことだけを褒めてどうする。こういうものは結果があってその上で頑張ったことを評価するものだろう。Zはそこをきっとわかっているもの。そこだけを評価したって駄目だし偉そうだ。何も頑張っていない私が何を言っているのだ。
私がZに伝えたいことってなんだ。やりたいことがあってそのために頑張ることが出来て、そんなZは私にとっては眩しくてかっこよくて特別で、尊敬して、そんなあなたのことが誇り・・・だとか?一年もやりとりしてないのにいきなりそういうの送るの気持ち悪くないか。考えろ、無い知恵絞って考えろ。私は全然優しい子じゃないけれども、今だけは地球上で最も優しい文章を考えなくてはいけないのだ。すべての可能性に対して優しい文章を考えなくてはいけないのだ。今こそ文学部の学生として学んだことを活かすべきではないのか。

父がチラリと私の携帯を見て「あんまり長い文章をいきなり送るとキモいぞ」と釘を差した。
冷静になる。何この文章キモい。きっとこれはあれだ。深夜のテンションで溢れる思いを書いちゃってるやつだ。

観念して私はgoogleで「浪人生 励まし メール」で検索をした。ああ、私は何をやっているのだろう。本当に一番伝えたい人に対して、考えることを放棄して、安易に検索している。これでも一応文学部の学生なのに、何を学んできたのだろう。自己嫌悪する。
浪人生に送ってはいけないNGワードなんかを見ていて、その中の「浪人生は孤独との戦いです。」という一文が目を引いた。
「浪人生は孤独との戦いです」
そうだ、Zちゃんは孤独にずっと戦っていたのだ。近況について何も聞かなくてもよかったんだ。センターの前日だとかにたった一言頑張ってねのメールを送っていたら、彼女の心を暖めることができたんじゃないか。何をやっても追い詰めてしまうんじゃないかとか、何も頑張っていない私が何を言ってもダメなんじゃないかとか、そうやって彼女から逃避していたのは私で、その行為が結果彼女を孤独にしてしまったんじゃないのか。私は自分の二年間を振り返った。安穏と、何の疑問も持たない子豚ちゃんみたいな目をして過ごした自分の二年間は、彼女にとっては苦しい孤独の二年間だったのだ。取り返しもつかないことを私はしたのだ。私はずっと間違っていたんだ。彼女の二年間を想像した。
「センターはどうでしたか」という文章を書いた後、ああだめだ、こんな直接的な言葉を使って聞いてしまってはいけないと削除する。私は彼女に何を聞きたいんだろう。私は彼女に何を言いたいんだろう。どんどんどんどん文章だけは長くなるのにこの言葉の中に私の気持ちがない。補足しようとしてさらに付け足していけばよりもっと私の本当に伝えたいことと離れていく。私の文章では本当に伝えたいことを伝えられないのだと思うと悔しくて、なぜだか涙が出てしまった。
(私には本来の問題から乖離させて自分の中の問題にすり替えて思い悩んでしまう悪癖がある)

ずっとメールを打つことを考えていたけれども、「もうメールをやめて、電話をかけてみようか」と思い立った。一年も連絡をしていないし、しかも仲の良かった頃からそんなに電話をしたことがなかった。突然すぎる。でも「電話をしよう」と思い立った時、むくむくと彼女の声を聞きたいという気持ちが働いて、衝動的に二階に駆け上がった。
電話をかけたら、ワンコールで彼女は電話に出た。電話口の声は少し低く聞こえたけれど、それでも私の知っている彼女の声だった。
「お久しぶり。雫です。本当はメールで送ろうと思ってたんだけど、なんか長すぎて気持ち悪いことになったし言いたいことがまとまらなくなったから電話にしたよ。いきなりでごめんね。」と言い訳がましく私は言った。

私が聞きたくてたまらなかった近況を彼女はあっさりを教えてくれた。三つの大学の滑り止めに合格していること、センターの点数、前期試験の手応え、明日は面接試験があるのだということ。
「浪人は今年で終わり」という言葉を聞いた時、強い安堵感と多幸感を覚えた。
空白だった一年の月日が電話をすることで軽く飛び越えられていく。成人式の話だとか、受験で起こった出来事についての話、いろいろな話をした。Zが「香川の大学を受けた時に昼ごはんにうどんを食べようと思ってうどん屋さんに入ったら、店構えは普通なのに中に入ったら薄暗い店内にミラーボールがキラキラしていて、椅子の足元には間接照明。店主はホストみたいな髪型してて(服装はうどん屋)、『あっ私入試前日にホストデビューしてしまったと思った』という話をしていてそれを聞いて
「ああやっぱりZは何か持ってるんだなあ。普通入試前日に入ったうどん屋がそんなホストクラブみたいなことになってないもん」と笑った。
「入試が終わったら遊ぼう」と向こうから誘ってもらえた。勿論だと請け負った。これからは今までみたいに当たり前に遊べるんだ。いろいろな思い出をこれからも作っていけるんだ。そう思うとこんなに嬉しいことがあるだろうかと思った。

「今日ね、数年前にZと一緒に行ったナゾのパラダイスに行ってきたんだ。」と話した。
「懐かしいなあ。行きたかったなあ。」と言って二人でナゾのパラダイスの話をした。

その時私は緑の大きな斜面に白い水仙がどこまでも広がっている昼に見た光景のことを思い出した。そして気づいたのだ。全ての事象は全て今に通じているのだと。
高校生の時にナゾのパラダイスに入ろうとしてやめたこと。高校卒業してすぐに二人でナゾのパラダイスに行ったこと。ブログの記事のために今日もう一度ナゾのパラダイスに行ったこと。そしてその今日が大学の前期試験の日でもあること。祖父の死と蟹料理、祖母が今日が前期試験の日だと知っていてそれを口にしたこと、父が「お前はもう友達じゃないんだ」と言ったこと‥‥それら因子の一つ一つの作用によってこの美しい今日を構成されているのだ。すべての出来事は全部全部今日の伏線回収のためで、しかもこの物語はまだ続いている。そう思ってしまったら、秘宝館であるはずのナゾのパラダイスすらも欠けてはならない大切な要素で、美しく思えてしまう。単純でしょうか。

私の最も美しい一日のこと 1

2015年2月25日

 

私はその日、突然の思いつきによりナゾのパラダイスを見物していた。(ナゾのパラダイスそのものについて言及しているものは、別にあるのでよければ見ていただければ嬉しいです。)

二人で行った思い出の場所に一人で行っていることに、どこぞの昭和歌謡にありそうだなあと思いながら車を走らせていた。

 

Zとは一年間、連絡を取っていなかった。浪人一年目の時は会うこともあったのだが、二年目になるとなんとなく連絡できなくなってしまった。

 

在学時代から、彼女はいろいろなものに追い立てられ、責められ、傷つけられていた。学校の先生は「成果」が欲しいから、「何も医学部にこだわる事はないから、看護学部でも薬学部でも受けてそこに行くのを考えたらどうか」なんて平気で言って、彼女のことを追い詰めるのだ。

今でも彼女は浪人という立場において色々なものに傷ついているのだろうと思った。例えば、母親の仕事先の人が二浪している娘がいることを知っていたりだとか、自分の弟が友達に「お前のおねえちゃん、大学どこいったん?」みたいなことを聞かれた話を聞いたりして、複雑な思いをしたのだろう。私は浪人をしたことがないし、受験自体そんなに頑張って志望校を目指したというわけでもないから、本当の意味で彼女の憂いはわからないのだろうなと思う。だからこそ、彼女に何かを言いたい気持ちがあっても、また同様に聞きたいことがいっぱいあっても「受験に関して特に努力もしないまま大学生になったこの私が何かを聞いても、私の無神経な言葉が彼女を傷つけてしまうかもしれない。」という思いがあって、こちらから連絡を取ることができなかった。彼女からもまたこちらに連絡が来ることもなかった。

 

私は待っていればいいと思った。きっと待っていれば彼女の方から私に連絡をしてくれると信じていた。今年はどこかの大学に受かって、彼女の浪人は終わるのだと信じていた。でもその「信じる」というのは、もう一つの否定したい可能性があって、それから耳を塞ぐためにあるのではないかと思う。

もし受かっていたとして、彼女が私に何も言ってこないまま人づてに彼女の合格を知ったとしたら私はきっと傷つくだろう。その時私はきっと彼女と私の関係性に自信がなくなってしまうだろう。

もし、彼女が何の滑り止めにも受かっていないそんな逼迫した状況の中にあったらどうしよう。それで私に連絡をしてこないのかもしれない。「三年目の浪人をするのか それとも医学部を諦めるのか」を聞くのが怖かった。どちらにするのかを私自身は何も進言できないし、どちらに行くにしても苦しい修羅の道を歩むのは彼女なのだ。何より、医学部を諦める彼女の姿を見たくなかった。

私は「努力をすれば叶えたいものは叶えられる」と信じていて、その努力が報われないことを信じたくなかったのだろう。

ディスカス2月号

2月1日 

視覚的に面白いところが多かったように思う。監視社会に縛られている窮屈さや狂った世界観に引き込まれた。この映画をまた観てもっと咀嚼して理解したい。後日色々と感想を友人と述べたりしたな。

2月12日 
ベイマックス 映画館のスクリーンで映画を観たのはとても久しぶりだった。こっちに遊びに来ていたSと一緒に鑑賞した。動きに迫力があってスピード感があった。ベイマックスは勿論だが仲間の活躍シーンも光ってた。ゴー・ゴー姉さんカッコいい。カーチェイスのとこまた観たい。

2月13日 
女はみんな生きている
Sが面白そうと言って選んで借りてきた映画。出てくる女の人が強くてカッコよくて好感が持てる。ノエミさんが的確に萌えのツボをついてくるわ。最後思わぬ着地点にたどり着いたな。 

ナギさんのこととか、謎は謎のまま気になるところをそのままにされてる。続きがあるなら観たいなあ。ロボット三原則を基に作られてる設定が面白かった。 

2月19日 
セブン
ブラッド・ピットの最後の銃口を向けるときの演技が、本当に妻を殺された人の表情だったから凄いなって思った。何とも言えない後味ですな。ハッピーエンド?バットエンド?

2月21日
実際に起こったことと千代子が演じた世界とが混ざっているのでどちらなのかわからなくなった。平沢進に興味を持った。エンディングよかった。主人公には共感はしにくいが清々しいとは思う。