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蛇の道はheavyだぜ

出産レポート 松本隆さんとのご縁

7月16日の午前6時2分に男の子を出産しました。その時の出来事を残しておきたいと思ったのと、産後のホルモンバランスで全然眠気が来なくて頭が冴えてしまうので暇つぶしに書こうと思います。(現在入院中)





7月12日 40週2日目の検診で病院に行きました。大阪市から渡される控除のクーポンは39週で使い切るため40週からの検診は自費になり、40週からは通院が週1回から週2回に増えます。

その時には「次は土曜日の7月16日に予約をとってほしい。子宮口は2cmぐらい開いているから、土曜日の予約を待たずに陣痛が来るかもしれない。

41週中には出産しないといけないので土曜日来てもらった時には入院の話になったり、促進剤の話になると思う。」といったような説明を受けました。

診察の終わりに土曜日の空きの時間を見ると9時半しか空いていませんでした。私は内心「だる……」と思いました。いつも14時前後に予約を取っていて、9時半は朝早くてめんどくさいなと。それに土曜日の予約では促進剤とか、バルーンだとか、もしかしたら状態によっては帝王切開の話になるかもしれません。あまり楽しい話が聞けるような診察ではなさそうです。

でも土曜日の予約を待たずに陣痛が来るかもしれないとも言われました。行かなくて済むなら朝早い時間になろうが関係ないと楽観的な気持ちで予約のボタンを押しました。よし息子よ、めんどくさいし行きたくないからなんとか9時半の予約よりも前に産まれてくれないだろうかと思いました。


基本的にメンタルが安定している私なのですが、7月中は気落ちした日々を過ごしていました。

皆様の記憶にも新しい悼ましい事件のニュースを見て自分の個人的な悲しみを思い出して泣いてしまったり、予定日を過ぎても何一つ兆候がない現状の不安、SNSとの付き合い方に対しての不安などそれらを友達に洗いざらいぶちまけて楽になってしまおうかという衝動に駆られそうになったのですが、こんなん言われても友達も困るよな…と冷静になり、私は口をつぐみこの子が生まれてくるまでは毎日一万歩を歩くのだと決め、予定日の7月10日からは毎日一万歩以上を歩くようにしていました。


歩いていればその時間は何も考えなくていいし、スマホからも離れられるし体も鍛えられる。iPhoneなら数字として記録されるからやりがいもある。目的もなく一万歩を歩くために一万歩を歩くのはしんどいが、どんな手段を使っても41週6日までには生まれてくるのだから先は見えている。出産という大変なことがこの先待ち受けているのだからそれぐらいできなきゃ…と半ば意地のように、安産と9時半の予約に行かなくても済む願掛けのように、一万歩を歩きながら10日から15日までを過ごしました。


7月15日 今日まで出産の兆候が何もないまま日々を過ごしていました。

日中は7月から日課として毎日続けている一日50回のスクワットをやった後腰に違和感を覚えたので、願掛けの一万歩は電車に乗らず近所をうろうろして過ごしました。


19時ごろに今まで見たことないような量の粘液栓を確認し、少しお腹の痛みを感じたため夫にラインで「今日兆候があるかもしれない」と送ります。

19時半ごろから10分間隔の規則的な痛みがあり、今までになかった兆候を感じ心がソワソワします。産院からは陣痛が5分間隔になったら連絡してほしいと言われていたため陣痛の間隔を計測するアプリを使って陣痛をカウントしていました。

その時の気分は正直嬉しかったです。何故なら今から陣痛が来れば行きたくなかった9時半の予約に行かずに済むし、この子が7月16日生まれになる可能性が高いからです。私はいつ生まれてきてもいいけれど予定日から遅れてくるなら7月16日がいいなあと思っていました。

7月16日は私の好きな作詞家の松本隆さんの誕生日です。

私は5月27日に神戸の喫茶店松本隆さんに偶然お会いすることができ、サインをいただくことができました。

松本隆さんは現在神戸にお住まいで、行きつけとして有名な喫茶店があるのですが、神出鬼没な方ですしそこに行けば必ず会える方では当然ありません。とても運が良かったと思います。

その日はお一人でプライベートで来られているようだったのでこちらも声をかけやすく、サインをお願いします。母子手帳でもいいですか?と言ったら笑ってサインを受けてくださいました。

向こうも妊婦から母子手帳にサインを求められるということが珍しかったのか記念に写真を撮りたいとおっしゃられ、私とのツーショットが松本さんのスマホの中に収められ(とても凄いことだ)おかげでこちらも私もツーショットがほしいと言い出しやすく一緒の写真まで撮ることができました。

いつ産まれるんですか。7月です。元気に生まれてくるといいですねと言葉をかけていただいたと思います。舞い上がっていて詳細を忘れてしまっているのが残念ですが、とても好きな人から私の子どもが元気に生まれてくるようにという言葉をかけられ、サインをしてもらえたことはこれ以上ない安産のお守りになるなと思いました。私の妊婦生活の中でも特に記憶に残る素敵な思い出でした。





7月16日にこの子が生まれたら運命だ。最高だと思いました。陣痛が来るたびに「おっう陣痛陣痛!」と言ってはしゃいでいるのでそれを見て夫が笑っていました。


22時、陣痛アプリでの計測が5分間隔になった時私は産院に電話をかけ、夫に車で連れて行ってもらいました。夫の入室は立ち会い時のみしか許可されていないので、診察の間は待機してもらいます。この時間は消灯しており、インターホンを押して中に入りました。

内診をしてもらったところ子宮口は全然開いておらず、これは前駆陣痛だと言われました。こんなヘラヘラ陣痛陣痛と笑っていられるようなものが陣痛のはずがなかったのです。私は恥を忍んで恐る恐る尋ねました。

「明日生まれてきそうな感じはないです?」「現時点ではないですね。陣痛アプリはつけなくていいですよ。陣痛の間隔よりも息ができなくなるぐらいの痛みがきてるかどうかなんで。もし何もなければ明日の予約の時間通りに来てください。破水か生理のような大量の出血が出た時、痛みが強くなったら連絡ください。」と言われました。子どもが寝ているので30〜40分ぐらいNSTテストをされ、自宅に帰されました。持ってきていた入院の荷物は預かってもらえると聞いたのでお願いしました。


帰りの車中ではしょんぼりしていました。せっかく夫に連れてきてもらったのに悪いなあと思っていたし(さらに待たせてるし)どうやら16日には生まれて来なそうだし、9時半の予約には行かなきゃいけなくなりそうだ。今回の診察の請求は受付が閉まっていたため明日の予約と合算されるらしく、時間外の自費の診察代と明日の診察代でいくらになるんだろう。火曜日の診察では9400円の請求でした。


家に着いたのは23時ごろでした。23時から4時50分までを自宅で待機して過ごしたのですが、この時間の間に本陣痛があったみたいです。

でもその時の私はそれが本陣痛だという自覚がなく、前駆陣痛だと思いながら過ごしていたため頑張って9時半まで耐えて一人で病院に行こうと思っていました。

特に時間の経過が長く感じたのは0時から1時の間で、全身は汗びっしょりになり頭はキンキンしてクラクラする。夫が「前駆陣痛は人によっては2〜3週間続く人もいるらしい」とスマホで調べてくれました。こんな痛みが3週間も続くなんて絶対気が狂うよ妊婦さんすごいな…って思っていました。これが続くとしたら私の場合最大1週間もあるかもしれないのか…と絶望的な気持ちでいました。

元々生理痛が重い方だったのもあり本陣痛の痛みを今まで経験したことがないほどの痛みだとは思わず、ある程度既視感のある痛みだなと思っていました。陣痛には波があるため痛いのは痛いのですが引く時を待っていれば大丈夫と感覚的にわかったため、寝返りを打ってはゆっくり深呼吸をしたり、IKEAのサメちゃんを抱きしめて気を紛らせていたり、スマホを見たりして過ごしていました。痛みがどんどん強くなってくるのを感じながらスマホで本陣痛について調べているとちょうど同じような状況の人が発言小町で「自分の痛みは本陣痛ではないでしょうか」と相談しているのを見て、アンサーに「これが本陣痛だったら痛過ぎてそんな書き込みしていられないはずです」とあり、やっぱりそうだよね…と思っていました。私は普通にスマホが見れている(痛みだけに集中するよりは気を紛らわせて時間を経過させたかったからもあるけど)

何時だったかは忘れましたがカイロを貼ってからは少し時間の進みが早くなり、痛みに慣れ出した3時ぐらいからは10分から20分単位で時が進むのを早く感じていました。


トイレに行った時に夜用のナプキンに生理2日目ぐらいの大量の出血がありました。助産師さんの言っていた電話する時が今だと気づき電話をかけ、夫に車で送ってもらいました。電話をかけたのが4時50分です。病院に着いたのは5時5分ぐらいだったと思います。

その時には車の中で息も絶え絶えで、これで本陣痛じゃなくて前駆陣痛でまだまだなんでと自宅に帰されたらどうしよう…9時半に自力で病院に行くのが本当に嫌だなと思っていました。

2回目のインターホンを押して息切れしながら自分の名前を名乗り、エレベーターの二階のボタンを押して二階に上がるまでを待つ間少ししゃがみ込んだ時やっぱり今本陣痛が来てるんじゃないか?とここでやっと自覚しました。

(でも扉が開いて二階で待ち構えていた助産師さんを見てすっと立ち上がってスタスタ歩きました。基本的に私は元気です。)

内診をしますね、と言われ「子宮口が全開ですね」と言われました。今までの内診で1センチ、1.5センチ、2センチと細かい単位で言われていたのにいきなりセンチではない単位が出てきたため、ゼンカイ…?ゼンカイって何センチなんだろうとぽかんとしていました。

(出産後他の人の出産レポを読んでみたのですが、いきみ逃しの時間がつらかったとか、子宮口が6cmからなかなか先に進まなくて全開になるまでの間に辛くて泣いてしまっただとか私の知らない大変そうな工程が2〜3個ぐらいあるのを見て、私の出産はほんとなんなんだろうと思います)

「これもういきみたい感じですね!」と助産師さんに言われ、そうなの…?となる。「今から生まれそうなんで旦那さんに待っててもらうように言ってください。」「ここまでよくおうちで頑張ったね。」「辛かったね。」と声をかけられ、そうだよ確かに私は辛かったんだ…と思いながらそのスピード感についていけずぽかんとしたままあたたかい言葉を浴びながら「わあなんかみんなめっちゃ褒めてくれる…嬉しい…」って思っていました。

22時の時点では何センチだったのかはわかりませんが産まれる兆候は見られないと言われていたので、23時からここに来るまでの6時間で全開までいったんだろうと思います。初産婦にしてはかなり早いスピードなんじゃないでしょうか。とにかくこれでこの子の誕生日は7月16日になると確定しました。やっと我が子に会える。しかもこの子は松本隆と同じ誕生日だ。


分娩までの準備が整えられ、5時19分に私のスマホから助産師さんが夫に電話をかけ、立ち会いの入室が許可されました。

夫の立ち会いは希望はしていましたが、個人事業主で抜けられるような仕事ではないため半ば諦めていました。(夫は私の出産を見届けた後出勤していきました)

事前にあまり立ち会いの打ち合わせをしていませんでしたが、夫がいてくれてすごくよかったなあと思います。いきむ時に背中を支えてくれたり、お茶いる?と気にかけてくれたり、何度も声をかけて応援してくれました。何よりいてくれることに強い安心感があります。


分娩の痛みは確かに痛いものではあるんですが、アドレナリンが出ているし、耐えていた痛みとは違ってポジティブな痛みだからそこまで辛いと思いませんでした。陣痛の時間で痛みに慣れたのもあるだろうと思います。おうちにいた時間の方がはるかに辛かった。とにかく一生懸命だったのであまり時系列は覚えていませんが、先生や助産師さんたちが上手上手と声をかけてくれてモチベーションを上げてくれたことを覚えています。いきみながら産まれる直前ぐらいに「今から破水しますよ」と声をかけられました。風船が割れるような感覚が確かにありこれが破水なのかと思いました。どこの位置に止まっていても辛いから早く前に進みたい。陣痛が来るのを待ちながらいきみました。一番痛かったのは股間が裂けそう!と思った時です。あれが瞬間最大風速の痛みでした。

「もう頭が出てきましたよ」と声をかけられた時に「えっもう?」と思いながら股に手をやってみると確かに水風船のようなやわらかいぷにぷにとしたものがありました。胎児の頭ってこんなに柔らかいのなら鼻からスイカよりも絶対楽だよなあと思ったことを覚えています。

会陰を切った時には陣痛の今までの痛みで全くわからないと聞いていたのですが全くその通りで、特に何の感覚もありませんでした。

助産師さんが「そろそろ生まれそうなんで旦那さんはカメラの用意をしてください」と言いました。来てもらえるかどうかもわからないけどまあどちらかといえば希望かなという感じでバースプランに夫に撮影してもらうと書いていたのです。いらなかったら後で消したらいいし頼んだ!と撮ってもらいました。

7月16日6時2分 息子が生まれました。

生まれてきた時はドゥルンとした固形物が目の前に現れた混乱に実感がないままぽかんとしていました。マスクもつけているし胸の上で抱いていて顔が見えないので、夫にどんな顔をしているのか見せてと撮ったスマホの写真を見せてもらいました。

体力的に全然余裕があったので産んでまもなく家族や友達にラインで報告していました。

夫が私の入院バッグに入れたペットボトル用ストローを探している時に、鞄に入れていたCDを見つけました。バースプランの打ち合わせの際に、CDを流せる環境があると聞いていたので持ってきていたのです。あまりのスピード感に忘れていました。どれを流す?と聞かれます。持ってきていたのは、シュガー・ベイブのsongs、オリジナル・ラブ風の歌を聴け鈴木茂のBAND WAGON、そしてはっぴいえんどの風街ろまんでした。

7月16日に生まれてきたこの子に流すのはこれしかないだろうと思いました。

はっぴいえんどで!」




分娩室にゆったりとした懐かしい音楽が流れます。子どもにとってはじめて聴く”歌”です。(それまでは病院がヒーリングオルゴールみたいなのを流してた)音楽が流れ出してから子どもが激しく高らかにギャン泣きし始めました。明らかに驚いた反応を見せていました。その時はあまりのギャン泣き様に困惑し「もしかしたら嫌だったのかな。子どもにあまり親の趣味を押し付けすぎないように気をつけよう…」と思いました。




安産には定義がないらしいのですが、これを安産と言わずに何を安産と言うのでしょう。

目まぐるしかったけれど出産は面白い経験だったなと思っている自分が怖いです。なんなら楽しかったなと思っている。もしかしたら私は自分で思っているよりも痛みに強くかなりたくましい人間なのかもしれません。自宅で待機していた本陣痛の間も、もし誰かが「これ前駆陣痛じゃなくて本陣痛だよ」と教えてくれていたら、ヤッター松本隆と同じ誕生日確定じゃんと思ってその時間すらもう少しポジティブに過ごしていただろうと思います。

そういえば母に昔私を産んだ時どうだったかを聞いたら、「めちゃめちゃに安産であんたのこと2回いきんで産んだで。助産師さんとのタイミングが合わなかったから2回になったけど全然ポテンシャル的には1回でも出せた。」と得意げに語られたことがあるぐらいで、一度も出産が大変だったと言う言葉を聞いたことがありませんでした。週数が増えるに連れてもっと出産のこと詳しく教えといて欲しかったなと思ったのですが、私も流石に2回きばったら出てきたわとまではいかなくても似たような感想になりそうだなあと思いました。私も母とよく似たとてもがっちりした骨盤を持っています。


この安産は松本隆さんのサインをいただけたからなのかもしれません。初産婦は陣痛から子宮口が全開になるまで12時間ぐらいかかると言われています。こんな置いて行かれてしまうほどスピーディーにお産が進んで7月16日に生まれてくるのはなんだか気持ちが悪いぐらい運がいいような気がします。あの時お会いできて子どもが同じ誕生日に生まれてくるのはどうしても不思議なご縁というか、運命というか、スピリチュアルなことしか言えないのですが本当に何かに導かれているような感じがあります。

松本隆さんならそんな力があっても不思議ではありません。だから予定日から6日も遅れたのかしら。みなさんももし松本隆さんに会う機会がありましたら母子手帳にサインをもらってみてください、なんて。



それともうちの子がとってもお母さん思いで本当はもっと早く生まれて来れるけどこの日に生まれてきたら喜んでくれるかなと思って待っててくれたのかしら。そうだったらかわいいな。実際私は「もし遅れてくるなら7月16日なんてどうよ息子ちゃん」と冗談でお腹に語りかけていました。それならパパもいる時間がいいよねって思ったのかな。


7月16日の6時2分。それは行きたくなかった予約の時間よりも前で、仕事を抜けられない夫が出勤前に立ち会ってくれる時間でもあり、ギリギリ41週にはならずに済み精神衛生上も良く、なないろの語呂で虹の日でもあり、松本隆と同じ誕生日であり私にとってこれ以上ない最高のタイミングで生まれてきてくれました。



出された朝食も食べ終わり、やってやったぞという思いで予約の9時半の時間を迎えることができました。


7月16日生まれの息子ですが、たいへん食欲旺盛で、生後3日目までは体重が生理的に減少すると事前に聞いていたのに驚くほどの食欲で母乳を飲み、2日目の時点で体重が前日よりも増えており、きっとすくすく大きくなるだろうなと思います。目がくりくりでかわいいよ。

退院したらみんなに見てもらいたいなあ。