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集合住宅

蛇の道はheavyだぜ

私の最も美しい一日のこと 1

2015年2月25日

 

私はその日、突然の思いつきによりナゾのパラダイスを見物していた。(ナゾのパラダイスそのものについて言及しているものは、別にあるのでよければ見ていただければ嬉しいです。)

二人で行った思い出の場所に一人で行っていることに、どこぞの昭和歌謡にありそうだなあと思いながら車を走らせていた。

 

Zとは一年間、連絡を取っていなかった。浪人一年目の時は会うこともあったのだが、二年目になるとなんとなく連絡できなくなってしまった。

 

在学時代から、彼女はいろいろなものに追い立てられ、責められ、傷つけられていた。学校の先生は「成果」が欲しいから、「何も医学部にこだわる事はないから、看護学部でも薬学部でも受けてそこに行くのを考えたらどうか」なんて平気で言って、彼女のことを追い詰めるのだ。

今でも彼女は浪人という立場において色々なものに傷ついているのだろうと思った。例えば、母親の仕事先の人が二浪している娘がいることを知っていたりだとか、自分の弟が友達に「お前のおねえちゃん、大学どこいったん?」みたいなことを聞かれた話を聞いたりして、複雑な思いをしたのだろう。私は浪人をしたことがないし、受験自体そんなに頑張って志望校を目指したというわけでもないから、本当の意味で彼女の憂いはわからないのだろうなと思う。だからこそ、彼女に何かを言いたい気持ちがあっても、また同様に聞きたいことがいっぱいあっても「受験に関して特に努力もしないまま大学生になったこの私が何かを聞いても、私の無神経な言葉が彼女を傷つけてしまうかもしれない。」という思いがあって、こちらから連絡を取ることができなかった。彼女からもまたこちらに連絡が来ることもなかった。

 

私は待っていればいいと思った。きっと待っていれば彼女の方から私に連絡をしてくれると信じていた。今年はどこかの大学に受かって、彼女の浪人は終わるのだと信じていた。でもその「信じる」というのは、もう一つの否定したい可能性があって、それから耳を塞ぐためにあるのではないかと思う。

もし受かっていたとして、彼女が私に何も言ってこないまま人づてに彼女の合格を知ったとしたら私はきっと傷つくだろう。その時私はきっと彼女と私の関係性に自信がなくなってしまうだろう。

もし、彼女が何の滑り止めにも受かっていないそんな逼迫した状況の中にあったらどうしよう。それで私に連絡をしてこないのかもしれない。「三年目の浪人をするのか それとも医学部を諦めるのか」を聞くのが怖かった。どちらにするのかを私自身は何も進言できないし、どちらに行くにしても苦しい修羅の道を歩むのは彼女なのだ。何より、医学部を諦める彼女の姿を見たくなかった。

私は「努力をすれば叶えたいものは叶えられる」と信じていて、その努力が報われないことを信じたくなかったのだろう。