集合住宅

蛇の道はheavyだぜ

私が初めて付き合った人

初夏のような陽気の五月のことだった。


付き合って一ヶ月になる彼から最近何か予定はあるのですかと聞かれた。
『週末に大学で体育祭があります。この大学は一年生は文化祭と体育祭は必ず出席しないといけなくて、単位をもらえなくなるんですよ』
というようなことを私は言った。
彼が『その週末は空いているし、女子大の体育祭とはどういうものか見てみたい』
という提案をして来た。体育祭に男の人を連れていくのか。大学の体育祭なんて保護者すらも見に来ないと聞いている。あまり気乗りはしなかったが特に断る理由もなかったので請け負った。

体育祭当日。あの人は保護者席に座っていた。私はあえてその席の斜め前に、彼に振り向くような体勢で座った。そうすると彼は私の隣に座ってきた。なんで私の隣に座ってくるのだろう、と少し不快な思いになったが(私はパーソナルスペースにうるさい)ああそうか交際相手だからこれが普通なのかと思い直した。

その日は五月であるにも関わらず本当に暑い日だった。その時、彼の体から酸味のある異臭がした。
うわあ、辛い。隣に座っているのが辛い。耐えられない。
そんなことを考えては駄目よ私。だって私はこの人の彼女なんですよ。この臭いはもしかしたら日頃の食生活や体調不良によるものかもしれないし、彼の体調に気を遣ってあげるべきではないのですか。男の人にあまり接したことがないからわからないけれど、多かれ少なかれ男の人ってこういう臭いのする生き物なんじゃないの。そこを許容できなかったら私男性と一生交際できないわよ。あっお願いだから風上に立たないで!

そんなことを考えているとどんどん私の口数が減っていく。どうして愛しいはずの人が隣にいるのに私の心はこんなに冷めているのだろう。付き合ってまだたったの一ヶ月ですよ。
あれか?手に入れた獲物に興味がなくなるとか?釣った魚に餌はやらないみたいな?それともあれか?私は本当はレズビアンで男性が無理とか?それともあれか?『恋は盲目』と言うけれども、私は今視力を取り戻してしまっているのか。明瞭に見える世界は残酷だった。

ぼんやりと遠くの景色を見つめる。なんて空が青いのだろう。ぼんやりとした淡い色の空にところどころ配置された白い雲。いくつか聳える無機質なビル。なんて気が抜けていて、無機質な景色なのだろう。どうして私の心をこんなにも荒涼とさせるのだろう。

体育祭の種目に出る時は、そんな憂いとはうってかわって楽しい時間に思えた。一年の五月なんて入学したての頃だ。もうすぐこの子と仲良くなれるかもしれないという予感にワクワクする。終わったあとに微笑みあったりハイタッチしたり。ああもっとこの子たちと話したい。もっとこの子たちと仲良くなりたい。
でもそんなこと考えてはいけない。彼は私以外の他の知り合いも誰もいない中、たった一人でここへ来たのだ。しかもわざわざ休日を使ってここへ来たのだ。無責任に放置なんて出来ない。私は彼女なのだから、彼をもてなさなければならない。使命を果たさなければならない。競技が終わったあとはあの定位置の席に戻る。
使命感を覚えれば覚えるほど、気負えば気負うほど苦しくなった。あああの子達と一緒にいたい。もっと仲良くなりたいと考えている私のことをひどいと思った。

体育祭が終わって、Yちゃんから声をかけられた。『一緒に帰ろう』って。嬉しかった。一緒に帰りたい。
でも私は彼女と一緒に帰ることは出来ない。断った。そして彼に電話をかけ、駅まで送っていく。

女子大の体育祭の帰り道、しかも父兄の見に来ないような体育祭の帰り道。当然女子ばかりの大名行列だ。女子の洪水の中のたった一人の男の人である彼と、その隣の私に矢のような視線が突き刺さる。痛い。そうか、私は大学に入学して一ヶ月しか経ってないのに体育祭なんかに男を連れてくる浮かれた女だと認識されているのか。しかもさほどイケメンではない(失礼)彼を自信満々に連れてきているように思われているのか。女の群衆の中無心で駅を目指す私は、十字架を背負いゴルゴダの丘を目指すイエス・キリストのような気持ちになった。お願いだから私を見ないで、彼と一緒に来た人だと思わないで。無言で早歩きをする。



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特別な女の子 2

中学校に上がって、私は初めて今が終わらなければいいのにって思った。Zと出会ってからの私の6年間は何よりもきらきらしていた。

同じ小学校から上がった友達から、友達になったのだと言われて紹介されたZと目があった時、
『ああ、私はきっとこの子の友達になる』といった、言葉に出来ないけど、どこか確信めいた予感があった。

Zは色素が淡く、生まれつき髪は淡い栗色をしていて、サラサラのロングヘアー。肌の色は白雪のように白く、頬には桃色の赤みが差していた。鼻筋が綺麗で、うっとりと見惚れてしまいそうになる横顔の持ち主だった。
Zは見た目ばかりでなく、心もまた美しい人だった。思慮深く、人のことを考える優しい心を持っている。強く自分の意見を言うことは少ないけれど、絶対に嫌なことはちゃんと嫌だとハッキリ言う。
自分の中に堂々とした主義があって、凛とした男前な精神があり、とても格好いい。それでいてユーモアのセンスに富んでいて面白い。頭もよくて勉強も出来る。

Zのどこが好きなのかと友達から聞かれたとき、『美人で優しいところ』と答えたときは悔しかった。美人で優しい、なんてそんなどこにでもあるような言葉を使って彼女を形容したのがたまらなく悔しかった。彼女はそんなものじゃないんだよ。もっとずっと魅力的な人なんだから。私の彼女に対しての思いは、『崇拝』に近かった。

私にとってZは特別な女の子だった。今まで出会った人の中でも、きっとこれから出会う人の中でも。そう私は思っていた。
高校を卒業して会うことがなくなり、彼女が私の日常の人でなくなって、他に親しい人間が出来たとしても、私の心の中の小箱に、宝物のように大切にしまわれた、ずっと特別なままの人。


私もまた、彼女にとっての特別な女の子になりたいと願った。彼女の『特別』が欲しかった。今まで出会った友達の中で、これから出会う友達の中で、一番の友達になりたかった。
彼女の目に映る私が、誰よりも面白くて一緒にいたい女の子であればいいと思った。彼女の手を引き、彼女をより面白い渦中へ誘うそんな魅力的な存在になりたかった。

濃密な二人だけの世界を作りたい、とは思わなかったけれど、二人しか知らない、他の人は入れないような何かを作ることができたらいいと思っていた。


誰よりもZとの時間を共有している人物になりたいと思ったし、誰よりも彼女のことを知っている人間になりたかった。どんな些細なことでも彼女のことを知りたかった。
私は彼女に対しての強い知識欲があった。ポテトチップスはコンソメ派、誕生日は12月28日、嫌いな食べ物はキムチと納豆と生の鮭だとか、そんな細々しいことを誰よりも覚えていた。私が誰よりも彼女のことを把握しているのだという自負が欲しかった。それだけで彼女の一部分を私のものに出来たような気持ちになるからだ。



中学三年生の時にZが一度だけ『雫ちゃんが自分の出会った友達の中で一番信頼している友達だ』と言ってくれたことがある。一度でいいのだ。その言葉を一度でも言ってくれたなら私はずっと幸せで、私の心を捕らえるのだから。


初めて自分の夢を友達に打ち明けたのだと言って、『将来医者になりたい』という夢を明かしてくれたこともある。一番最初に打ち明けた友達が私であることも嬉しかった。

Zは今も浪人をして医者になるための勉強を頑張っている。女の子で二浪して、それでもなりたいもののために頑張れるなんて覚悟を感じる。私にはそんなやりたいことなんてないもの。だからそんな彼女がいつまでもいつまでも誇りなのだ。

仮定だけれど、もしZが川で溺れていて、自分の命と引き換えに助けられるなら、私は彼女の身代わりになら死んでもいいなと思った。私にはやりたいことなんてないし、社会にでてどれだけの人の役に立てるかわからない。でも彼女は将来医者になって、きっと人々を救うだろうし、その優しい性格は色々な人から愛されるだろう。
他の誰のためにも死ねないけれど彼女の為だったら死んでもいいって、あの頃は本気で思っていた。

特別な女の子 1

小学六年生の時、私は自らの人生を諦観していた。

保育園の頃、私は早く小学生になりたかった。近くの小学校に通う子どもたちが保育園に訪れて、『小学校は楽しい』と言っていたからだ。私からは彼らが眩しくて、素敵なお兄さんやお姉さんに見え、憧れた。きっと小学校に上がれば今よりも楽しい日々が待っているのだと期待した。

でも実際小学校に上がると、勉強はしなくてはいけないし、とても窮屈な日々が待っていた。大人たちは『もう小学1年生なんだから』と言った。『もう小学2年生』『もう小学3年生』年齢が上がれば上がるほど、あなたはもう幼くなくて、しっかりしなければならない年齢なのだと言われた。

私はもう二度と『まだ』とは言ってもらえないし、私自身もまた自らのことを『まだ』と思うことはないのだ。『あなたはまだ保育園だから』と言って無条件に甘えられた時代は終わったのだと思うと、保育園に戻りたいと思った。

本当に中学生になったら今よりもましな日々が訪れるのだろうか。小学校から逃げるように卒業して中学生になっても、その時には今度はきっと小学校に戻りたいと思っているのだろう。私のこの今は未来の私から見たらましに思えるのだろうか。
高校生になっても、もっと大人になっても、私はずっとそれを繰り返すのだろう。私は一生今に満足することはなくて、過去を美しく思い、未来の方がきっとましだと夢を見る。
小学六年生のくせに、私はこの世界の理を知ってしまったと思った。それに気づいてしまったために、自分の人生にたいして冷ややかな気持ちが生まれる。
中学生になりたくない。止めようがないことだけれど私はそう思った。

(小学校の頃よりも、今の方が甘いものが好きになってより泣き虫になって、中身も色々と子どもっぽくなっているような気がする。)

首に対しての気持ち悪い熱意

(突如フェチシズム溢れる文章を書きたくなったんだけど、書いててああこれ黒歴史になりそうだなって思った。消したい。) 

私は、人の首という部分が好き。首という部分が、呼吸に関係している部分だからかもしれない。男性でも女性でも、細くて長い首を持つ人のことを綺麗だと思う。もし将来誰かと付き合うことがあるなら、首の綺麗な人だといいなって思う。

首の綺麗な人が、ワイシャツのボタンを一番上まで締めていて、その上できっちりとネクタイをしているのに魅力を感じる。決してボタンを一つでもあけたり、ネクタイを緩めたりしないで欲しい。そういうことはこっちの脳内で勝手にするから余計なことはしないで欲しい。 きっと一番上まで締めたボタンは僅かな圧迫を覚えさせているだろう。その上にきっちりとネクタイを締めていたら、きっと喉元に違和感があるだろう。綺麗な首がそのまま出されずに、隠されていて、その上圧迫されているということに何故か魅力を感じる。

もし誰かと交際することがあって、ある程度の信頼関係を築けたなら、首を触らせて欲しいと思う。一度でいいからやってみたい。

首全体を手のひらで包み込むようにして触る。特にその手に力を加えたりはしない。ただそのまま触るだけ。時おり親指の腹で首の輪郭をなぞったり、鎖骨の窪みの感触を確かめたりする。 きっと相手はその手のことを強く意識するだろうと思う。首という体温の高い部分に私の手が触れたとき、ぞくりとするような冷たさを覚えるだろう。手のひらの柔らかい部分で少しでも喉の部分を押したなら、それだけでひやりとした圧迫感を覚えるだろう。
首なんて普段自分で触ることもなければ誰かに触れられることもない場所だ。ある程度の信頼関係がなければ絶対に触らせてもらえない。 普段触られることのないそこに触れられた時、自らの心臓を撫でられているかのような、ぞわぞわとむず痒く、落ち着かない感覚があるだろう。自分に触れてくるその手のことが気になってしょうがなくてたまらなくなるのだ。素敵。 

同窓会に行ってきた

同窓会に行き、久々の人たちと会ってきた。会場はKという場所。
ちなみにこのKの別館はかつて谷崎潤一郎が滞在し、蓼食う虫を執筆した所らしいので、面白いなと思った。(蓼食う虫には淡路人形浄瑠璃が出てくる。そして私の髪は人形になる。縁がなくもないよね。)

同窓会には私の友人が出席する。だから成人式会場のような居心地の悪さは感じなかった。
出席していたのは、以前私に『味噌汁を炭酸で割りたい』とか『銅像にブラジャーをつけたい』『バケツゼリー食べたい』だとかを言い出して私をその気にさせた問題提起系女子の友人と、以前だらだらと人間関係について書いたときに出てきたBと、今までこのブログには出てこなかった友人(以下C)の三人だ。

問題提起系女子(以下S氏)とは中学・高校の時よりも、卒業してからの方が仲良くなって親密な話をするようになった、不思議な仲である。卒業後も定期的に会っていた友人は彼女だけである。来月もまた、彼女のいる鳥取へ遊びにいく予定だ。



見た目が大きく変わっている人は、あまりいなかったように思う。何も変わっていなくて、物凄く自然にあの頃に戻れる。
同じ学校に通っていたという共通項があるからか、皆に対して優しい気持ちを持てている自分に気づく。かつての激しい感情なんてもうない。大人になるってこういうことなのかもしれないなと思う。

以前から話してみたいと思っていたシンガーソングライターを目指して東京へ行っている人と、物凄く自然に、当たり前みたいに話すことができた。在学時代なら絶対にこんな風に話せない。
他にも今まで話せなかった人と、少し話すことができた。凄く価値があったと思う。


成績が悪く態度もあまりよくなかった私は、あまり先生にとって印象に残っていない生徒だったようだ。稲田さんだっけと言われる。私は稲森です。
(以前人間関係についてうだうだ書いたときに出てきた)Aさんは来てないのかと聞かれる。『Aさんは成人式みたいなイベントが嫌いみたいですよ』と答えた。

卒業した後もAは学校に呼ばれて、受験体験記を後輩の生徒たちを前にして話したと聞くし、今でも彼女は優等生で先生から好かれているのだなと思った。多分私がいなくても、稲森さん来てないのねなんて先生方はきっと思わない。



お酒を飲むと自分の友人がどういう変化を遂げるのか知れたことが面白かった。

Sは酔うと無敵になる。本当は物凄く面白い人なのに普段は大人しくしていて、自分の面白さを隠している。
そんな彼女が明るく陽気に色々な人に話しかけに行っていた。

突然『眼鏡を7つ集めたら願い事が叶う』とまるでドラゴ○ボールのようなことを言い出した彼女は、眼鏡狩りを開始していた。3つ程どこからか眼鏡を集めてきたらしく、私に見せてくる。本当は女の子の眼鏡を欲しかったらしいが、当てにしていた眼鏡っ子が眼鏡をやめてコンタクトになっていたので、妥協で男子のものを集めたらしい。
被害にあった眼鏡男子は『お願いだから返してください』と言って懇願していた。流石無敵。

彼女は、自分が酔っぱらっていると指摘されるのが心外で、自分が酔っていると頑なに認めようとしない。絶対に自分は酔っていないと言い張る。

シンガーソングライター志望の人が、顔が赤いと心配してSの頬に触れようとしたときに
『私に触るな!エロガッパ!エロガッパ!』と罵っているのを見たときは、エロガッパという単語がツボにハマって私は膝から崩れ落ちてしまった。


Cは酔うと人にお酒を薦めるのが楽しくなってくるタイプのようだった。お酒を作りたがるし飲ませたがる。
気の弱そうな理系の男子に、氷を入れたグラスに並々焼酎を注いで笑顔でハイ♪と言って手渡して去って行く様を見て、ああここに悪魔がいるなと思わずにはいられなかった。
『無理しないで、薄めてね』と言ったが、彼は大丈夫と言ってそれを飲んでいた。『頑張って。もしSとCの被害者の会を立ち上げるつもりがあるなら、微力ではあるが私も協力しますよ。』という風なことを言っていたような気がする。


Bは酔うと甘えたくなるらしい。
『この雰囲気に飲まれてみたよー。いやあね、大学入ってこんな風に抱きついたりできる友達いないんだよ。寂しいんだよ。』と言いながら私に抱きついてくる。在学中そんな抱きついてきたことあったっけか。というかお前酔うとそんな可愛いことになるのか。意外すぎるわ。

私は彼女たちよりもお酒を飲んでいた。具体的に何杯飲んだかは覚えていないが、結構ハイペースで飲んでいた気がする。
自覚がないだけだったら恐ろしいけど、私には面白い変化はなかったような気がする。顔色には少し赤みが差していたけれど、いつもとそんなに差はなかった。そういえばパッチテストも無反応だったし、何人かからお酒が強いねと言われたこともあるし、自分で思っている以上に私はお酒に耐性があるのかもしれない。

楽しい一日でした。

成人式に行ってきた 2

流石に市長に物を投げたりだとか、話を聞かずに暴れたりするような人はいなかったが、話の最中にスマホをいじっている女が多く目立ったのには閉口した。
正直市長の話がそう面白くてためになるようには思わないが、その態度はどうなのだろう。ちゃんと聞いているふりだけでもすればいいのに。後ろの花魁ギャルもいちいち煩い。こいつら本当に私と同い年なのかしら。
私は話を聞いているふりをしながら、手話ボランティアの人の手の動きをひたすら見ていた。あの人たちの手の動きが洗練されて見え、面白いと思った。そして、今だけ聴力がなければいいのにと思った。後ろの騒がしい動物の声も聞こえず、静謐な空間のなか手話の意味だけを理解して、この場を過ごせるなら快適だろうななんて。


私の目の前の花魁は、自分の今日の振袖姿の写真を見たり、プリクラの画像をダウンロードしたりしていた。それって今やらなきゃだめなの。そんなに何度も見たって、お前がブスなのは変わらないから安心したらいいのにと心のなかで毒づく。こんなことを言うと失礼かもしれないが、少なくとも数十人以上はいる花魁姿の人のなかに、美人は一人しかいなかった。ほとんどが面白いぐらい露骨なブスだった。

上には上がいるし同様に下には下がいるものだ。私は自分よりも明らかにブスで、さらに気が強くて自分に自信がありそうで、その上趣味が悪い(私視点から)という三つを兼ね揃えたスーパーブスに対して手厳しい。
もし私があなたのような顔に生まれてきたら、そんなに自信をもって生きていけないし、もっと明るいところは歩かずに人目を避けて生活すると思う。その顔で自信をもって生きていけて、そんな悪趣味な格好が出来ちゃうなんて、あなたって幸せね。なんて思ってしまう。
ある種その考えはコンプレックスの裏返しでもあるので、めちゃくちゃ性格が悪い。


式典は思いの外だらだらと長引き終わらなかった。挨拶とビデオレターよりも、実行委員が主催する抽選会によって長引いたように思う。終わったのは四時半ぐらいだったか。

知人以上友達未満の人が連れていた友達…‥という今日知り合った他人以外の何者でもない人から、一緒にプリクラを撮ろうと誘われたのだが、時間の都合上難しいと判断し断った。この後同窓会に出席するし(同窓会は6時半から始まる)、一度戻って服を着替えたり、髪を切る時間が欲しかったからだ。それに、今日初めてあったその子と撮る写真にさほど価値があるように思わなかった。
だから私には、友達は勿論、同じ振袖姿の誰かと一緒に写っている写真が一枚もない。一人で写っている写真と、家族で写っている写真だけ。ちょっと寂しいけど、まあいいか。これがぼっちや!

式典が終わった後は足早に会場を去った。ホール内はだらだらと意味もなく立っている人々が無駄にたくさんいるため、その人たちの間をすり抜けて、なんとか出口を目指す。
彼らは久々に逢った旧友と話を弾ませたり、晴れ姿を写真に収めていた。ああ、この海を割りたい。この時ほどモーゼになりたいと思ったことはない。
私には、ここで話に花を咲かせたい友達も、一緒に写真を撮りたい友達もいない。天人の羽衣を着たかぐや姫が、何の思い煩いもなく月へ帰っていくように、私は足早に去る。
同じように出ていこうとする男性の作った道を、ちょこちょこと付いていって私も通った。


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父の車に乗り込んだら、家の近くの床屋さんに戻り、振袖を脱いだ。持ってきていた服を着て、髪を切ってもらう。一番長いところだと30cmぐらい。一度にこんなに髪を切る人はそういないそうで、理容師さんから『貴重だから切った髪を淡路人形浄瑠璃の団体に寄贈してもいいか』と聞かれた。
私の髪が知らないところで人形になっていると思うと面白い。私の切った髪が無駄にならずに、何かの役に立つのなら嬉しい。使えるだけどんどん貰ってくださいと快諾する。
以前からやりたいと思っていた髪型にしてもらう。父からは真木よう子みたいな髪型だと言われた。真木よう子木村カエラばりに髪型の変化に忙しい人だから、そう言われてもあまりピンと来ない。
私がもともとショートカッ党の人間なのもあって、自分のショートヘア姿をとても気に入っている。でも他の人の反応はどうだろう。ちょっと怖いな。

成人式に行ってきた

私の朝は成人式にもかかわらず、あまり早くない。一年前から、近所の床屋さんに着付けと髪を頼んでいたので、8時に着けば良かったからだ。

 

髪型は、お団子の中に詰め物を入れてくれていたので、髪にボリュームを出してもらえ、前撮りの時よりも私のイメージしていた髪型に近づけてもらえた。


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前撮りを見た祖母が、「襟が白い襟だと少し首元が寂しい」と言って刺繍襟を買ってきたのでそれを着けた。

私は、自分がこだわるものには徹底的にこだわるのだが、興味がないものにはまったくの無頓着だ。そもそも刺繍襟にさほど魅力を感じていないので、正直白でも刺繍襟でもどちらでもいいとすら考えている。草履や鞄も同様で、適当に選んでいる。爪にもあまり興味がないので、そのままにしてある。

(個人的に、靴と爪にこだわる人はものすごくおしゃれに思う。本当におしゃれな人は細部にこそこだわるような・・そんな気がする)

 

着付けが終わり、まず父方の祖母の家へ挨拶に行く。振袖姿では車の運転ができないので、父がずっと運転をしてくれていた。

父方の家に、祖母と伯母と叔母夫婦が集まってくれた。祖父がいないこの家で一人で祖母は住んでいるのかと思うと、この家が寒くて広すぎるように思った。

祖母が椅子を出してきてくれ、私はそれに座る。

(親の兄や姉に当たる人は「伯父・伯母」を使い、親の弟や妹に当たる人は「叔父・叔母」を使うと最近気づいたので、使い分けてみている。分かりづらいかもしれないが、得た知識はなんとなく使いたくなるものなので許してほしい。)

 

叔母が私に花束をくれた。なんでも、式典終了後には花束を持って歩いている新成人が多くいるらしく、持っていなければその場で浮くということはないがあったほうがいいだろうと判断して、くれたようである。一年前に成人式をやった親の情報はありがたく、振袖選びを早めに行ったのも叔母の助言からである。

ちなみに私のいとこにあたり、叔母の娘である玲ちゃんは、陸上部の後輩から小さな花束3つと、レースクイーン時代のファンから特大の花を2つ、持てないほどの花を貰って右往左往したらしい。だから成人式当日のことは「花束を受け取るのにてんやわんやしてて、花のことしか覚えてない」と叔母は言っていた。

 

次に母方の祖母の家へ挨拶に。式典の時間までおかきを食べたりしてだらだらする。

 

親族たちは私のことを綺麗だと言ってくれた。こういう時に綺麗ではないと言ってくるような人はあまり身の回りにはいないので、実際に私が綺麗かどうかは定かではない。しかし私はこういう言葉は基本的に真に受けて悦に浸るタイプの人間なので、幸せ者である。

 

成人式の会場へ着く。友達は皆隣の市の式典に出席すると聞いていたので、私はアウェーである。中学高校少し話す程度ぐらいだった、知り合い以上友達未満の人とその人の友達(初対面)となんとかにこやかに話し、この場を和やかに終わらせお茶を濁す。

地元ケーブルテレビが取材してきた。テレビに映れば、祖母が喜んでくれると思ったので頑張って答える。インタビュアーから一番近い位置にいたため、3人の中から一番最初に質問を聞かれて答えなくてならないので、ほかの二人のようにシンキングタイムを与えられず、うまく答えられなかった。

母のいとこが使っていた襟巻きを借りていたのだが、異様に存在感がありもふもふしていた。風が吹くとまるで炎のようにめらめらともふもふが舞い上がり、口の中に入ってくる。帯より上の上半身がすべて巨大なもふもふによって覆われていて、私のお気に入りの差し色の青の重ね襟が全然わからない。

久しぶりに会った同級生からかけられた言葉はたった一言、「もふもふすごいな」だった。だよねー私もそう思うわ。あれすごく邪魔だったな。その日暖かかったし、車においてこればよかった。

(ケーブルテレビが取材してきたときも存在感あふれるもふもふをつけていた。悔やまれる。取材後にやっぱりこれ邪魔だなと思って父に預けた。)


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式典が始まった。私の前の席と後ろの席に花魁のギャルが座っていた。「あーこれ、はさみ将棋だったら私死んでたな。」なんてのんきに思う。彼女たちは悪趣味に自分の好きなものを突き詰めている、成人式の風物詩だ。私の住む市は土地柄アレな人が多いのか、他所の成人式会場よりも花魁や袴姿が目立つ。

うっかり前の席の花魁のスマホの待ち受けを見たときに、0歳児ぐらいの子供を抱いている写真だったので「ヴェッ!?」とは思ったかな。 

 

振袖を着ている人は多くいるが、私の視点から見て私よりも素敵な振袖を着ている人はいなかった。自分の趣味を濃縮還元しているから当然といえば当然なのだが、この場に私以上に私の心を動かす振袖を着ている人はいなかった。数多振袖を着ている人が多くいるこの場で私が一番センスがよくて、振袖の趣味がいい。そんな風に思えることなんて今後三十年ぐらい訪れないんじゃないかと思う。

そしてそれはきっと、ほかの女の子たちや花魁たちも、彼女たちの視点から見れば自分が一番華やかで趣味がいいと思っているのだろう。