街コンについて考える
街コンについて考えることが多い。
というのも、私のツイッターで交友している方が街コンに行ってきたり、私の大学の先輩が「街コンで恋人ができた友達がいっぱいいる」と言って薦めてきたり、何かとご縁があるからである。
街コンに行きたいと思うようになった。理由はいくつかある。
私は中学生の時、中学生なら誰もが発症する病の重篤な患者だった。自分が誰よりも女々しい存在であることを知っていたから、その女々しさを隠したくて粗暴に振る舞い、性別のない高潔な存在を目指していた。なかなか酷い発想である。笑ってくれ。若気の至りなのだから。
人生の道を大きく踏み外して以来、それから今日に至るまでこじらせマイライフを送ってきた。私はずっと女性であることから逃げ、勝負から逃げ、不戦敗を続けてきたのである。私はずっと身の程も現実も知らないまま二十年を過ごしてしまった。
私は街コンに行きたい、というよりも現実を見に行きたいのだ。全くの赤の他人である純然たる第三者の目によって私を評価してもらいたい。
もし、誰からも相手にされず、大勢の街コン参加者の中の悲しいモブキャラにしかなれなかったとしたら、その事実を抱きしめて「ああ、私はこんなものなのだな」と現実を理解して生きていけると思う。
街コンについて調べていくうちに私の中で街コンの参加者についてある仮説が生まれた。それは
「リア充も美人もイケメンも街コンには滅多に来ない。普通もしくは普通以下の人間が集まる。」ということである。
リア充であるならば自分たちの独自のコミュニティーを駆使し、その中から異性を探し、街コンなどにお世話にならないのではないか。
友達のツテ、合コン、サークル内でうんぬんかんぬんなど、そういったものがない人たちが集まる吹き溜まりなのではないか。
しかし、もしそうであるならば私にとってかなり敷居が低いものである。