集合住宅

蛇の道はheavyだぜ

倉敷徘徊 その2

朝の9時30分に神戸から倉敷へ向かう。車には3時間ほど乗る。
行きに寄った「高速道路にある休憩施設」にある、干し柿を使った茶菓子の試食がとても美味しかった。私は生の柿も好物だが、干し柿のねっとりとした甘さもたまらなく好きだ。しかし『このお土産はきっとどこにでもあるものだろう。わざわざここで買わなくてもいいな。』と判断し、そこでは買わなかった。

車内には、「差し込み接続によって電源を確保することのできる機器」が備え付けられており、快適だった。内装も木目調で洒落ていたのを覚えている。

岡山駅にたどり着いたのは12:40ぐらい。そこから倉敷駅を目指す。
昼食の南伊料理店の予約は、始発の到着に合わせた時間に設定していたので、絶対に間に合わない。故に鈴木が遅れるという旨の電話をしてくれた。
(先に店の予約をした後で車の予約をしているからこんなことになる。順序がおかしい。)
『昼食の時間の15:00までならいつ来ても大丈夫ですよ。』と店の人は答えてくれたので、二人で胸を撫で下ろした。

倉敷駅からかなり歩いたところにその店はある。あまり迷わずにそこにたどり着くことができた。時刻は13:30にも関わらず、客は多く入っていた。入り口付近には待っている客もいたので、予約しておいてよかったと心から思った。
昼食自体は可もなく不可もないといったところだったが、古民家を改装した雰囲気のある建物であったことや、とてもいい席を用意してくれたことや、店員の物腰の柔らかな接客が私達を貴族の気分にさせてくれた。その席は日当たりがよく、美しい庭を一望できるところだった。


私が参考にしたまとめの内容はあまり正しくなかった。何故ならあれは今年の5月に書かれたものだからだ。
この店は今年の11月に改装されたらしい。そのためかあれの言うように完全予約制にはなっていなかったし、(ただし予約していたからいい席を取っていて貰えた)店内には乳母車や小さな子どもの姿があった。あのまとめが載っていた頃よりも改善されたお店なのかもしれない。

この店の庭で撮影を始めた。鈴木が携帯で写真を撮り、私はそれの被写体となった。目線や表情や手の動きや足の置き方、立ち位置などすべて彼女が私に指示をくれる。その的確な指示はまるで本職の人のようである。(鈴木には職人気質なところがあり、私は彼女のそういうところが好きだ。)


倉敷での撮影はいつも以上に楽しかった。どこで撮っても「絵になる」し、人通りも京都などに比べてそう多くない。
鈴木が携帯で美しい風景を切り取り、私はその写真の風景の中に溶け込む。それはとてつもない幸福感だった。回数を重ねるごとに鈴木は撮影技術が上がり、私も強ばらせていた表情をどんどん柔和にしていった。
合計で258枚も撮っていたことには後で気づいた。

あのまとめでは一時間もすれば美観地区は飽きるようにかかれていたが、何時間も私達はそこに居たし、飽きなかった。むしろ時間が足りないぐらいだ。

他にも倉敷のいいところがある。それは人がとても親切なところだ。

写真を撮っているときは写らないように皆避けて歩いてくれたり、撮影が終わるのを立ち止まって待ってくれた。もしそれが関西なら平然と横切っていくのが普通である。
あと、二人の通行人が『よろしければ撮って差し上げましょうか』とわざわざ声を向こうからかけてきてくれた。そういった心遣いもとても嬉しい。
関西なら、自分から誰かに声をかけたら写真を撮ってもらえるが、向こうから言ってもらえることは少ない。
信号のない横断歩道では、車が歩行者のことを待ってくれる。それが一台だけではなくて何台もそうなのだ。関西では(以下略)
他にも色々なところで、嬉しくなるような親切を受けた。

旅行先だから尚更人の優しさがより温かく感じるものなのかもしれないが、それでも関西では『普通』だと思っていたものがここでは普通ではないのだなと知り、恥ずかしく思った。関西って、特に神戸大阪って民度低いんだなきっと。

人から親切にされるたびに『岡山いいなあ』『また来たいな』『岡山の人と結婚したい』『将来岡山に住むのもいいな』なんて言っていた。もうすっかり岡山の虜である。始終楽しいねって言いながら笑いあっていた。
鈴木とは色々なところに一緒に行ったが、今回が一番楽しかったと心から思う。

駅の近くにある大型複合施設にも赴いたが、30分もその場にいることが出来なかった。結局行きたいと思っていたカツ丼の店にも行くことが出来なかった。(岡山の名物らしい。普通のカツ丼とは異なり、洋風のたれをかける。)
ほとんどの時間を写真撮影に使っていたためだ。

しかし行きたいところにすべて行ってしまうのもいいが、少し心残りがあった方が、また行くときの楽しみが残っているので悪くないと思うのだ。
むしろこんなに楽しかったのだから、文句なんてない。満足だ。


どこにでもあるかと思っていて行きに買わなかった干し柿の菓子は、倉敷駅にも岡山駅にもなかった。正確に言えば岡山駅にはあるのだが、新幹線の改札をくぐったところにあるらしく、買いに行くことが出来なかった。

しかし、帰りに寄った休憩施設にはその土産は売っていた。その時の喜びは大きかった。これは行きで買っていれば得られなかったものだと思う。
どこにでもあると思っていたものがどこにもなくて、ここでしか売っていなかったことを知ってて買うのだから、とても気分がいい。

帰りの車内で友人と、撮った写真を一緒に見た。一つ一つの写真には物語があるので、見ているとつい頬が緩む。それらを見ながら色々話をした。話は尽きなかった。乗っている時間は同じなのに、行きよりも帰りの方がずっと短く感じた。


その後非常に衝撃的な出来事が起こるのだが割愛。















(私が着ている外套は、12歳の時に祖母に買ってもらったものだ。最近発見され、8年ぶりに日の目を見ている。)