集合住宅

蛇の道はheavyだぜ

雨の花

雨の日は頭上に花が咲く。
24本の骨を持つ私の傘を開いた時、頭上にまるで乱菊の花が咲いているように感じる。緋色の傘から透過するわずかばかりの光は、まるで絹ごしされたかのように柔らかい。
私は頭上を眺めながら歩く。そうしていると、緋色に包まれているかのような錯覚に陥り、私の心に朗らかさを与える。






雨の日は空も曇り、見えるもの全てが暗くくすんでいるかのように思われる。アスファルトも、建物も、皆どこか雨の日の鬱屈とした気持ちを隠しきれずに顔に出してしまっているかのような、そんな薄暗さを感じさせる。

そんな世界の中で私が緋色の花を開かせたら、一つ、鮮やかな色が足されるように思う。これは嗜好の問題であるが、傘は鮮やかな色の方が美しい。雨の日の色調の中で、私の傘の色だけが映える。色が映えるという感覚には心躍るものがあり、えもいわれぬ興奮を私にもたらす。
しっとりと雨に濡れた緋色の傘はより深い赤色になり、それら風景のどんな色よりも鮮やかに、雨の世界を彩る。
雨の日はそのような嫌になるくらいポエミーな事を考えても、多少は許されるように思うのだ。

退廃未遂

いつからか自分にはある恐怖が付きまとっていた。
『私が演じている私の皮を剥いだその奥には、つまらない私しかいない。』と。

私は人と話していて時折ひやりとする。私が本当はつまらない人間であることがバレてしまったのではないかと。私は自分の底を知られることが怖い。真実が白日の元に晒されたとき、人々からは心底見放されるだろう。今まで対等だとして扱ってきた私のことを、「学ぶことを捨てた下衆」だと気づき、軽蔑するでしょう。

『精神的向上心のない者は莫迦だ』と云う有名な言葉がありますね。そうです。私は莫迦なんです。私には意欲がない。意識もない。出来れば何も学ばずに、何もせずに生きていけるならそうしたい。思い返せば私は学業に、いいえ学ぶことに熱心だったことはありませんでした。私はいつも怠惰で、腐っているのです。努力をした覚えなんて一度もありません。いつだって自分が楽な方に身を任せ、行き着いた先もまた自分が楽をした結果なのだと思うと妙に腑に落ちるのでした。
ある時私の脳裏に「頑張らない人間に最終的に訪れるのは死だ」という言葉が過ったことがあります。このまま何かに頑張ることもなく生きていたら、選択肢は先細るのだろうなと。
学ぶことは楽しいことなのでしょうか。今の私にとっては「しなければならないこと」であり「強迫観念」です。私は学ぶことを楽しいと思ったことがあったのでしょうか。

私はもしお家が大金持ちだったらきっと働かないでしょう。しかし残念ながらうちの家は一般家庭です。働きたいというよりも、働かなければなりません。しかし働くためには、雇ってもらうためには勉強しなくてはいけないし、また雇ってもらったあともずっとずっと学ぶことは続くのだと言います。学ぶことからは逃れられないのでしょう。生涯学習です。

中学高校もあまりまともに勉強をしませんでしたし、私の知識は恐らく現役中学生に劣るのではないでしょうか。それを恥と思うことも忘れて体裁だけを取り繕い、それでいて新たに学ぶことをしようとしない。


高校生の頃は小説を読むのが好きでした。本を読むとなんとなく利口になれた気がしましたし、自分の意見がなくても、虎の威を借る狐のように、自分よりも賢い人の意見をさもや自分の考えであるかのように振る舞ってみたりも出来るからです。でもそれは張りぼてです。
数年前に図書館で借りて読んだほとんどの本の中身は、断片的にしか覚えていないものが大半です。私は沢山本を読みました。一年で300冊ぐらい読んでいたように思います。しかし私は本を『数』で言うなら沢山読んだかもしれませんが、本当の意味でちゃんと、一字一句をかみ砕き咀嚼し自分のものにした本は一体何冊あったのかと思うと疑問です。

元々日本文学に興味を持って大学に入ったはずなのに、皮肉にも大学に入ってからの私はそれに興味を失っていました。そうやって俗っぽくなっていく自分をぼんやりと見つめて、デカダンな日々に浸っていました。ある種それは、人によっては笑い飛ばしたくなるようなナルシシズムです。


変わりたいと思うのです。本当に。何度も決意をするのですよ。でもその度に私の決意は何倍もの体積を誇る怠惰の渦に呑まれてしまうのです。


(最近、本を読むのが少し楽しくなって、好きな作家に影響された文章が書いてみたくなりました。如実ですね。)

ディスカス1月号

1月1日
愛を読むひと
前半のラブシーンの生々しさに、ああこれ一人で見てよかったと思った。後半のシリアスな展開はよかったと思う。前半は魅力的なお姉さんを、後半では老婆の役を同じ女優さんが演じているのに凄いなって思った。

1月5日
レゴムービー
もう一度見た 面白かった

1月14日
バック・トゥ・ザ・フューチャー
鑑賞会で同時に見ることは叶わなかったが、後日観た。いいものは何回観ても面白いな。2で描かれている未来は2015年の話なんだっけ。今年中に2を観たいね。

1月15日
ジュマンジ
脇役の黒人警官が好き。サイコロを振るたび奇想天外なことが起こるので、ハラハラして疲れる。ゲームが終わったらちゃんと1969年に戻れるところがいいよね。そうじゃないと主人公が可哀想過ぎる。

劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲
音楽がとってもかっこいい。ミュウの屈託のない無邪気な動きが可愛かった。テーマも重くて、挑戦的な内容だと思った。オリジナルとコピーが戦ってぼろぼろになるシーンには胸がつまる。

1月18日
スコア
前半はあまり動きがないけど後半から面白かった。でも派手な動きはあまりなかった。味方からの裏切りをさらに出し抜く主人公がかっこよかった。

1月20日
スナッチ
F氏か面白いと言っていた映画。牛乳投げたら事故るとことロシア人車で轢くとこが面白かった。人数が多いけど何とかキャラの区別がついた。ダイヤのカラットが減ってるんだけど犬が2カラット消費したんですか。

1月24日
蛍火の杜へ
サクサク終わって、特に心に残らないストーリーだった。でも台詞と雰囲気はよかったと思う。

1月26日
ジュラシックパーク
私の友人のS氏が最も好きな映画の一つだと言っていたので、興味を持って観た。
本当に恐竜がいるみたいだった。今ある技術を全て使っていると感じ心から凄いと思った。二時間の映画のなかでCGは合計で七分しか使われていないというのにも驚いた。恐竜の血を吸った蚊から血を採取しDNAを作るところなどに、SFの要素があるなと思った。とても面白かった。

ヒトリスト断念

少女の頃は太宰治の女生徒を読んでああこれは私だ、と思った。自分に自信がなく、それでいてこっそりと薔薇の刺繍を隠し持っている彼女の姿が私と同じだと思った。あの文章はまるで頭の中の考えてることがとけでたみたいに雑多で、少女らしくて素敵だった。
今読んだらあの頃のような感動はなくて、そんなにピンと来なくなってしまった。いっそ少女のままで死にたかったあの頃を通りすぎた私は、大人になった。
先日バイト先の人に聞いた。いつからおばさんと呼ばれるようになるのでしょうと。バイト先の人は言った。25歳を過ぎたら言われるようになるよと。ああそうか、私のリミットは5年なのだな。短いね。きっと春休みのように有効活用できずに矢のように過ぎていくのだろう。
ずっと少女でいたかったけど、私はもう少女ではないし、同じようにきっと5年経ったら精神までもおばさんになって、おばさんである自分を受け入れるのだろうよ。そう思うと恐ろしいね。

今しかできないことってきっといっぱいあるんだろう。後で若気の至りだと笑って許してもらえるようなことだとか、失敗。私には成功体験も少ないが失敗した体験も少ないように思う。


高校生の頃、ヒトリストになりたかった。
ある日吉野家に一人で颯爽と入っていく女の人を見て、惚れた。あああんな風に一人で吉野家に入っていくのね。なんて自信に満ちていて、優雅で、一人であることに何の後ろめたさもなく清々しいのかしらって。

彼女のように一人を美しく着こなせる、一人を楽しく過ごせる、ヒトリストになろうと考える。
一人で行ったことのない店へ行く。敷居の高いお洒落な所とか、男性客ばかりのラーメン屋とか。一人でカラオケをする。みっちり三時間。一人でしりとりをする。みっちり六時間。二時間を過ぎた頃から言葉が続かなくて苦しくなった。一人でプリクラ。自分の横の空白によしこという架空の友達の絵を描く。
一人でやることに難易度が高いものを次々とクリアし、自分のヒトリストレベルを上げていった。

大学生になって一人暮らしをしてしばらく経つと、一人というものに対しての考え方や立ち位置が変わった。
今私にとって一人とは日常で、普通で、当たり前で、まるで皮膚のように自らに張り付いているものだ。
一人を楽しめたあの頃は一人が非日常で、当たり前の事じゃなかった。学校にいけば、カーストは低いものの自分が集めて作った世界があって、特別な女の子がいて友達がいて、家に帰れば父と母がいた。一人でいることを楽しめていたのは本当に私が一人ではなかったからだ。

一人は何の面白味も魅力もない、ふつーのことだ。むしろ一人が嫌になってる。
当然一人を楽しもうという気持ちがなくなる。一人でいるのにお金を遣うのが勿体ないように思うし、一人で高いものを食べてもそんなに美味しいように思わないし、誰かと過ごす時間にお金を遣いたいと思うようになった。

一人で旅行に行っても全然不安な気持ちにならない。日常の延長のように感じる。もう私は遠いところに住んでいるのだ。だからそこから遠いところにいたってそれは大したことではないのだと。


群れなければ生きていけないなんてと思うけれども、ずっと私はそのままなのだ。学校では寄り添える誰かがいなければ、所属しているところがなければ寒さに凍えて死んでしまうだろう。何かに属しているという安心感はとても強い。
今は何にも私は属していないで、宙ぶらりんだ。そして、一人が嫌になっている。見苦しいだろう。

ほとんどスーパー

お久しぶりです。稲森です。テストが終わりました。二つの意味でテストが終わりました。今日からは特別学期というものが始まるのですが実質的には春休みです。
春休みはどうせバイトをして、それか一日中家にいるか、たまに出掛けたりなんかして日々の退屈さから逃れようとしたり、退屈に飲まれてみたりするのでしょう。
きっと私が大学を卒業したら春休みという存在が眩しく贅沢なものに感じられるのでしょうが、与えられている現在は正直手持ちぶさたというか、有効活用できなくてもて余しているような感じです。


髪を切ったことに関して、結構色々な人が気づいてくれました。以前の方がよかったという人もいればこっちの方がいいという人もいたり、そんな感じです。

お客さんから『ばっさり髪切ったんですね』なんて言われることがよくあって、ああ私は見られているんだな。見ている人がいて気づいてくれる人がいるんだなと思うと少し心が暖まりました。私が覚えていないお客さんからも声をかけられたので尚更そう思いました。

スーパーのレジの仕事をテトリス感覚でやっています。買い物かごに山盛りの商品があるとき、こっそり心の中で『こいつぁテトリスし甲斐がありそうだぜ』なんて考えています。スナック菓子やパンなどの軽いものは後から上に乗せる、鶏のレバーや魚など水気のあるものはビニール袋に入れる、などのスーパー独自のルールがありますが、基本的にはテトリスです。かごのなかに綺麗に商品をおけた時小さな達成感があります。あと白菜がまるまる入っているとやりがいがあります。白菜を打つのが好きなんです。

持ってきたかごの中身がごちゃごちゃとしている方が『元より綺麗になった』と思えるので嬉しいです。最初から綺麗においてある人の場合、こだわりのある人なのかなと思ってちょっと緊張します。その場合元と同じように置きます。
あと買い物の合計金額が5000円を越えると心の中で高揚します。合計金額の心のうきうきで言えば大晦日は凄いです。スキャンしたらかまぼこが500円だったり鏡餅が1500円だったり信じられない価格設定で、しかも飛ぶように売れていく。合計金額が20000円とかって時もあります。楽しい。

計算は機械がやってくれるので頭を使う必要はありません。ただテトリスに興じていればいいのです。自分は商品をスキャンするだけの肉人形みたいだなって思うときもあります。
1年以上やって、商品を袋に積めたり、かごにいれたりする動作が早くなったような気がします。相変わらずトラブルに対しての対応力はすごぶる低いですが。

笑顔が上手くなったかはわかりませんが、接客用の弾んだ声は手にいれることができました。あの声はバイト中しか出せないし、また意識的に出しているつもりもありません。あの声はいったいなんなのでしょうか。

よく来られる、そして自分が好感を持っているお客さんの煙草は覚えます。いつもピアニッシモを買われる女性のお客さんがいるんですけど、銘柄を聞く前から『おいくつですか』って弾んだ声でピアニッシモを取ろうとすると、『今日は違うのにする』と言われてしまったとき、『な…なるほど…‥』と露骨にしょんぼりしてしまいます。

理想像が具体的になる

二十歳になると焦る。自分の年齢が10代から20代になってしまった。
三ヶ月ほど付き合った末別れた人が一人いるため、私の経験値はゼロではないのだが、数字で表すなら0.3ぐらいだと思う。確実に1に満たない。私が大学を卒業したら22歳。焦る。世の中の人たちが私と同じ歳の時に経験してきた事柄をずっと私は経験せずに、欠落したまま生きていくのだろうかと思うとめまいがする。

交際経験が乏しいにも関わらず、二十歳になって少し結婚を意識するようになった。強い結婚願望があるわけではないが、漠然と自分は将来結婚しているのだろうなという風な想定をしている。甘いよね。でも一人で老いて死んでいきたくないよ。

今日、S氏と電話をした。彼女とは友人になって8年経つが初めてまともに恋バナをした。お互い歳を取ったのだと物悲しくなる。
(一年前に相談をしたあれは恋バナに含まれるのだろうか…?微妙)
Sは『工学部に気になる人がいるのだが、今年の四月に話しかけられて以降、何も進展がない。どうしたものか』というようなことを言っていた。
彼女は一浪して獣医学部に入っている。卒業したら25歳。何の経験もないまま社会に野放しにされることが恐怖でならないらしく、カレピッピを大学で見つけたいようである。

今まで誰かに好きなタイプを聞かれても、具体的なものが全然出てこなかったのだが、近年物凄く具体的なものが出てきていてそんな自分に驚いている。
ただし、私には物差しが以前交際したその人のみであるため、『その人のことがトラウマになってるじゃないか』と友達からは笑われてしまったけど。


1 ちゃんと首がある人
首が綺麗なひとというのは結構限られる。太っている人や背の低い人で首の綺麗な人はあまり見られない。
別に首が綺麗でなくてもいい、ただちゃんと首がある人がいい。太り始めると首という部分は如実に分かりやすくなり、肩が上がって首が太短くなって首がなくなってしまう。
ちなみに以前交際していたその人には首に肉がついていて、首がなかった。

2 猫が死んでも私のせいにしてこない人
一時期は『猫を飼っている一人暮らしの人にろくな人はいない どこか人間としての欠損がある人物に違いない』などという飛んだ偏見を持っていたのだが、最近は柔和になり『一人暮らしで猫飼ってもいいけど、猫が死んでも私のせいにしてこなければいいよ』って思っている。完璧にトラウマになっている。

3 必要最低限の清潔感があること
汗をかいたら臭いを発生させるのは仕方のないことだし、私ももう少し柔軟にならなければいけないところはあると思う。しかし相手にも多少は気を遣っていただきたい。お互いいいところで折り合いをつけたい。(トラウマになってる)


4 人からお似合いと言われて腹が立たない
(トラウマになってる)

5 私のことを一生下の名前で呼んでくれること
私は下の名前で呼ばれることを特別なことだと考えている。中学高校ではほとんどの人が私を稲森さんと呼び、一部の仲のいい友達と家族だけが私のことを『雫』と呼んでいた。

大学でサークルに入った当初、アカハライモリを飼っているという理由で『いもり』というニックネームで呼んでもらうようにした。『大して親しくもないけど同じサークルのよしみということだけで下の名前で呼ばれるのは嫌だ。私のことを下の名前で呼ぶのは特別な人だけだ。』と思ったからだ。
特別なものは特別扱いしたい。私は特別扱いをするのもされるのも大好きなのだ。

うちの父や母はお互いを呼ぶときは名前で呼び、私に話すときにはお母さんお父さんと言い、器用に使い分けていた。
また父方も母方の祖父母もお互いの名前を呼んだり、『あなた』というその人だけを指す呼び方をしている。それが当たり前の家で育った。

だから幼い頃にテレビドラマで、ソファーで寝そべっている夫が奥さんを『ママ』と呼んでいる姿を観たときはびっくりした。えっ、誰のことを呼んでるの。確かに奥さんは子どもがいて『ママ』ではあるけどあなたのママではないでしょって。

家に帰って夫にママとかお母さんとかお母ちゃんとか、そんな世俗的な呼び方をされるのは嫌だ。
(でも親同士がお父さんお母さんと呼びあったり、パパママと呼びあう家は多いようである。)


私がもし家庭に入ったら、私を今まで雫と呼んでくれた友達とは縁遠くなるだろう。仕事を得たり母になったりしたら、
『稲森さん』だとか『○○さんの奥さん』だとか『○○ちゃんのママ』だとか役職名だとかで呼ばれるようになる。
きっとどんどん下の名前で呼ばれる機会は減るのだろう。私のことを雫と呼んでくれる祖母も母も父も、きっと私が40~50歳にかけての間に皆死んでしまっているだろう。
私がお母さんになってもおばあちゃんになっても、ずっと名前で呼んでくれるのはあなたぐらいしかいないんですよ。せめてあなたぐらいは私のことをちゃんと名前で呼びなさいって思う。

6 私の話をちゃんと聞いてくれる
女という生き物は話を聞いてもらいたい生き物だ、などと自分の意見を女すべての意見であるように言うつもりはないが、少なくとも私は自分の話を聞いてもらいたいと思っている。私が話しているときに話の腰をバッキバキに複雑骨折させてくる人と以前話したのだが、正直もやもやとした。かといって私自身はそんなに人の話が聞くのがうまいようには思わない。自分は出来ないくせに人には話を聞けだなんて、なかなか虫のいい話だな。でも理想だから許してください。


もし結婚するなら男の人は共働きであることを求めるだろう。今まで自由に使えていたお金を圧迫してくるだけの存在なんて必要ないだろうから。私は職がなければ、親を幸せに出来ない上に結婚も出来ないということになる。修羅だ。

私が初めて付き合った人 2

後ろから声をかけられた。Yちゃんだった。『あっ!Yちゃんだ!』無言を貫いていた私が弾んだ声を出す。Yちゃんと少しお話をする。
『そちらの方は?』『体育祭見に来てて、今駅まで送ってるの』
Yちゃんともう少しお話ししていたいと言う気持ちが芽生える。しかしYちゃんから
『邪魔をしては悪いし、私こっちの道から帰るから』と言われた。同じ駅を目指しているYちゃんがあえて分かれ道に行ってしまった。

この男のためにYちゃんに気を遣わせてしまった、という事実がショックだった。私はYちゃんからの一緒に帰ろうという誘いを断ってこの人と一緒に帰っているのだ。(そこに私は一抹の気まずさを覚えている)
Yちゃんにこの人と付き合っていると認識されて、その上で気を遣って分かれ道の方へ行ってしまったのか。
臭いのことよりも、この人といることに接待を意識したことよりも、痛々しい視線よりも、何よりも私にとってはショックな出来事だった。
疲れが全身に回ってくる。頭がヒヤリと冷えるような感覚があった。
ああ、もうやだ。明日も同じようにこんな繰り返しをして、私一人がこんな風に気疲れしなくてはいけないのか。


駅まで送った後家に戻り、『明日の体育祭には来ないで欲しい』『私はこの言葉をあなたに嫌われてもいいという残酷な気持ちから言っている』というようなメールを送った。
その人自身がなにも悪いことをしていないのに、自分の苛立ちのままに理不尽なキツイ言葉をかけている。自己嫌悪が嵐のように起こった。私は嫌なやつだ。でも本当のことは言えない。特に臭いのことなんか絶対に言えない。


そのメールを送って一週間ほど交流が途絶えていたのだが、彼からメールが来た。『少しでいいからお話しできませんか』と。
『雫さんに言われた言葉がショックで、食事も喉を通らず、自分のことにすら構わない状態だったので、飼っている猫のことに気をやることができなかった。最近何びきか拾ってきたうちの一匹を死なせてしまった』という内容だった。

私は最初にこれを読んだとき『お前は何を言っているのだ』と思った。でも激しい罪悪感がこの気持ちをすぐに覆い隠してどっかへやってしまった。

「理不尽に残酷な感情を向けて酷いことを言ったのは私だ。私の言葉が人を傷つけ間接的に猫を殺してしまったのだ。」

私は自らの罪悪感のために、自らの罪をなあなあにしようと思った。私は自分に負い目があると冷静な判断が出来なくなるところがある。

『酷いことを言ってごめんなさい。私が猫を間接的に殺してしまったようなものですよね。嫌われてもいいなんて言ったのは本意ではありません。私も話したいです。』といったメールを送った。
『猫が死んでしまったのは雫さんのせいではありません。もともと拾ってきた猫のなかで一番体の小さな個体で、この事は関係なく死んでしまったかもしれません。』という返事が返ってきた。
本当なら一ヶ月で終わるはずだった関係を無理矢理もう二ヶ月繋げたのだ。


八月、中学高校時代からの友人であるSから『神戸の元町に占いの館ジェムっていう凄く怪しげなところがある。凄く好奇心をそそられるのだが、一人でいく勇気がない。一緒に行ってくれないか。』と誘われた。


占い師から、『付き合っている人の生年月日を教えて』と言われた。知らないと答えた。聞いたことがないし、多分向こうも私の生年月日を知らないと。
それを聞いた占い師は『あなたたちの関係って惰性なのね』と言った。
占いというよりも、三ヶ月も付き合っていながらお互いの生年月日を知らないという私の発言からの分析のように感じたが、それでも心の奥底で思っていたことを他人の口から言われると妙にすっきりするところがあった。

その夜私はSと一緒に銭湯に行った。
その時初めて人にその人のことを言った。付き合っている人がいるということを知っている人は何人かいたのだが、その人の一部始終を語ったのは初めてだったのだ。

話を聞いたSは『その男まじないわ』と言った。
『雫ちゃんのせいじゃないと言いながらも、猫の話をわざわざするってことは、雫ちゃんに罪悪感を植え付けたかったからでしょ。それに乗せられる雫ちゃんも雫ちゃんだよ。
私はこの男の小さい人間性に辟易する。寒気がする。反吐が出る。生理的に無理。物理的に無理。色々無理。』と痛快なまでに罵ってくれた。
『ああそうか、私は友達からまじないわと言われるような人と付き合っているのか』と思うと、『別れよう』って思った。本当はもっと前から別れる理由を探し求めていて、ようやく自分を納得させられる格好の理由を見つけられたように思った。

『にしても、よく私がその人のこと好きじゃないの分かったね。その人のことなにも言わなかったのに。』と言うと、
『何も言わないから分かったよ』と言われた。そうね、私って物凄く分かりやすい子だもんね。


銭湯から家までの帰り道を友人Sと並んで歩いた時の爽快感は今でも覚えている。

湯上がりの火照った体に、夏の気持ちいい夜風が当たる。銭湯で買ったパック入りのグレープフルーツジュースの爽やかな味。洗い立ての体はすっきりとしているし、気持ちもまたすっきりとしていた。

家に帰って、友達と一緒に別れのメールを考えた。出来る限り相手を傷つけないように薄めて薄めた文章を書いた。

『夜分遅くに申し訳ありません。どうしてもお伝えしたいことがあり、メールを送らせていただきました。
突然のことで驚かれると思いますが、私とあなたの恋人関係を解消させてください。
ここまで異性と仲良くなれたのはあなたが初めてでした。あなたの優しく、細やかに気配りしてくれるところは今でも好きですし尊敬しています。ですので余計にその気持ちを恋愛感情として取り違えてしまったのかもしれません。
あなたの時間を無駄にしてしまいました。わがままばかりで本当に申し訳ありません。どうかおゆるしください。』
(紙に下書きを書いた上でメールを送っている。まだその下書きが手元にあったので原文に忠実だと思う。)

そのメールを送ったら、相手は別れることを承諾してくれた。メール一本で人間関係が終わるだなんて、メルマガの購読のようにあっさりとしている。その後彼と会ったこともメールをしたこともない。
こんなにもあっさりと人間関係って終わるんだなって、その手応えのなさに拍子抜けしたことを覚えている。