淡路島『ナゾのパラダイス』再訪&取材編
数年前に、ナゾのパラダイスを訪れた。
しかし当時の私には内容があまりにも過激だったのと羞恥心を掻き立てられたために、あまりナゾのパラダイス自体のことをよく覚えていないことに思いついた。
ナゾのパラダイスに関する記事が書きたい、しかしあれではただの思い出話に過ぎない。もしナゾのパラダイスに興味を持って検索をかけてあれが出てきたら、本当に知りたい情報が何一つ載っておらずがっかりされてしまうだろう。実際にナゾのパラダイスに行きたい人や、ナゾのパラダイスそのものがどんな場所であるかを知りたい人にとっては何の役にも立たないではないか、と気づき
「ならば私はもう一度あの場所へ行く必要があるな。ちょうど2月25日から淡路に帰っているし、その時にでも行けばいい。」と考えたのである。
「ナゾのパラダイス」は洲本市由良に存在する。「由良」は淡路の中でも少し異色の地域であるように思う。淡路島の中には「淡路弁」と「由良弁」の二種類の方言がある。淡路弁は基本的にさほど関西弁と変わらないのだが由良弁は特徴的なので、ネイティブの由良弁を話している人の言葉を聞いても、私は多分得体の知れない外国語みたいに何一つ理解できないと思う。(でもあまり最近は若い人はまともに由良弁を話したりしないし、衰退している。言葉ってこうやって消えていき淘汰されるのかしら。)
「探偵ナイトスクープ」という関西地方で人気を誇る視聴者参加型のローカル番組がある。関西圏ではとても有名な番組なのだが、関東での知名度はどうなのだろう。ご存知ですか?
その番組において何十年も前にだが、この場所は「淡路のパラダイス」であると取り上げられて話題になった。その後パラダイスシリーズと呼ばれる、秘宝館や零細遊園地など個人で行われている集客の少ない施設を面白おかしく紹介する企画がコーナー化されている。ナゾのパラダイスは番組内の「パラダイスシリーズ」の魁であり、またナイトスクープによって紹介されたことの恩恵を最も受けているパラダイスではないかと思う。
ナゾのパラダイスは「立川水仙郷」という淡路島にある水仙の名所の中に存在する施設である。1月から2月にかけて幾百万本の清廉な水仙が切り立った斜面を覆う絨毯のように咲いている。美しい場所である。数年ごとに入場ゲートの大きな絵は書き換えられているのか、二年前に来た時と違う絵になっていた。
施設には「淡路島 ナゾのパラダイス おしべと♡♡♡ めしべのことを まなぶところ」と大きく書かれている。おしべとめしべ・・・か。なかなかセンスあるな。
ちょうど今なら見頃の水仙が目の前に広がる。だからパラダイスを目的に来た人と、水仙の写真を撮るために来た人と、健全な目的の人と不健全な目的の人が同じ場所に存在している。
その場所は私営で管理されており、そのナゾのパラダイスの展示品たちもある一人のオーナーの収集品だ。よくあれだけのものをたった一人で集めたと思う。たくさんのお金と時間をかけたのだろう。性に対しての執念と狂気を感じ、から恐ろしくなる。
人にナゾのパラダイスについて伝えようという目的があるというのと、一人で赴いたこと、さらに私自身が性的なものに対してある程度耐性が出来てしまっているというのもあってか、二年前に来た時よりもちゃんと展示品を見ることができた。
「写真撮影をしてもいいですか」とナゾのパラダイスの管理者に聞くと、「ちょっとならいいよ」と言われた。さらに「ネットに上げることも大丈夫ですか?」と確認を取ると「ああ、みんなやってるしいいよいいよ。むしろ宣伝して頂戴」というぐらいだったので、ありがたく掲載させていただく。なんて寛容なのかと驚いた。
(ただしあまりにも直接的なものを載せるのはちょっと気が引けるので、大丈夫そうなもののみを載せてあます)
私は秘宝館そのものに関しての知識がないため、他の秘宝館と比較してナゾのパラダイスがどうであるかを説明できるか自信がないのだが、ここにおいて言えるのが
「文字による情報が多い」ことだと思う。オーナーの男や女に関しての自論が紙に手書きで何枚も書かれていて、それがあちこちに貼ってある。その内容の中には純粋に「なるほど」と思えるものもあった。
あと春画であるだとか、木製の男性器のオブジェが何個も置いてあったり、あとエロ雑誌か何かの1ページが展示されていた。時代による風化と劣化が何とも言えない哀愁と懐かしさを生んでいた。
管理者と少しお話する。(管理者とオーナーは同一人物ではない)
立川水仙郷のオーナーがたった一人で集めたということや、夏休みのシーズンになると大学生たちがバスを貸し切ってナゾのパラダイスを訪れることを教えてもらった。二回目三回目と何度もここを訪れるリピーターもいるようだ。
「それは・・酔狂ですね」と小声で思わず感想を漏らすと、「えっなんて言った?」と聞き返された。「いえ、なんでもないです。」と濁す。
管理者が男性器のオブジェを指差して、「よければ一緒に写真を撮って差し上げましょうか」と申し出てくれた。二年前はそんなこと、絶対できなかったなあと思いながら、「そうですね、せっかくだから・・」とお受けする。「こんな木なかなか他所であれへんもんな」「そうですね・・・こんな木、今後他所で絶対見ないと思います・・・」
以下の二枚が撮ってもらった写真です。なおプライバシー保護のためモザイクをかけております。
淡路島に来ることがあれば、一度訪ねてみてはいかがでしょうか。
淡路島『ナゾのパラダイス』に赴いてしまった時の話
コンビニ行脚いたずらの旅 2
四件目、ローソン。華やかな20代の女性が私のレジをしていた。毛先にパーマネントのかかったボブカットで、結構可愛い子。横にいる女性店員ともっと話したそうにしていたので、彼女たちは仲がいいのだろうと推測した。
詰め替え用ではない、ちゃんと容器にはいったアタックネオ(筒に近い形状の容器にはいった洗剤)を買う。
四件目で少し学習した私は、二つのテクニックを使う。
『長い方のストローを、お願いします』
あえて『長い』ストローを指定してつけさせる。長い方のストローの長さは、アタックネオの容器の長さに対してとても丁度いい。きっと店員の想像力を掻き立てる(はずだ)。
さらに、店員が袋を用意しようと屈んでいるのを見計らい、『このままで大丈夫です。』と言う。片手でアタックネオとストローを持って去る。まさに今から飲むような雰囲気が出せていたのではないだろうか。
五件目、セブンイレブン。猫缶の他にお酒やらおかずを買って、さもやつまみに猫缶を食べるかのような演出をする買い物をしようかと考えたが、それでは猫缶ではないものにお箸をつけてもらいたがっているように思われてしまうかもしれない。今回は猫缶と犬用のウェットタイプの餌を買う。
レジに持っていき、『お箸をつけてください』と言う。店員は、いくつだろう。20代と言われても40代と言われてもしっくりくるような男性だ。愚鈍な印象を受ける。ポケモンでたとえるなら、カビゴンに似ている。
猫缶とドックフードに箸をつけることに何の疑問も持たないようだった。
私は少し、自分のやっている行動にやけを起こしていた。今こんなに面白い試みをしているのに、どうして誰もこの面白さに気づかないのか。どうして今、あなたの退屈な日常に隠れているささやかな非日常に気づかない。疑わないのだ。
去り際に私が店員に対して言う『ありがとうございました』が萎れていた。
ストローを全然関係ないものにつけろというお客さんはたまにいる。だからその類いだと認識されてしまうのだろうか。それともこの人たちは自分たちの生きる日々に何の疑問も持たず、ただとろんと子豚ちゃんみたいな目をして、自分の決まっている時間が終わるのを待っているだけなのか。きっと私が店員たちに対してそう思ってしまうのは、他でもないこの私がそうだからだろう。ただいたずらにその時間が行き過ぎるのを心を無にして待っている。本当は私こそが愚鈍な店員なのだ。
もしもの話だけど、もし私のレジに洗剤にストローつけてくださいと言ってくる客がいても「お飲みになるんですか?」なんて絶対に心のなかで思っていても聞けない。失礼だし、飲むはずがないから。だからきっと店員さんも、想像力を掻き立てられたとしてもそれを表に出したりはしないだろう。その上で私が満足のいく答えを出すとしたら、結果的に自己満足以外何もないのである。
この旅には終わりがないかもしれない。私が望む結末はどこにもないかもしれない。それでも私は次のコンビニを目指すのだ。
六件目、駅の近くのファミリーマート。一見客が多く見えるが特にレジ周辺は混雑しているわけではなく、立ち読みをしているお客さんが多い印象を受けた。レジが混んでいたり忙しいと気づいてもらえない可能性が高いため、安堵する。
店内を物色する。まず猫缶を一つ手にとった後、「何にストローをつけてもらおうか・・・」と考える。ちゃんと長い方のストローで飲むのに丁度いい形状の容器にはいっているものを探す。もう洗剤はさっき買ったからいらない。違うものがいい。もうすぐサラダ油が切れそうだし、サラダ油にストローを付けてもらおう。
レジへ1リットルのサラダ油と猫缶を持っていく。店員さんは30代後半の女性。ファミリーマートの場合、名札に星がついていて1つ星から5つ星まである。星が多ければ多いほどスキルが高い、ということになっているらしい。彼女の名札の星は2つ星だった。
「おはしとストロー、あっ長い方のストローをつけてください」と言う。そしてさらに店員が屈んで袋を出そうとするときを見計らって「あっ、すぐ使うんでこのままで大丈夫です」と言った。四件目のローソンでのテクニックを使ったのだが、ただそこに「すぐ使う」というワードを入れた。えっこの人サラダ油をすぐ使うの?袋いらないの?それに長い方のストローってもしかして・・・と思わせるためだ。けして「すぐ食べるので」とか「すぐ飲むので」という単語を使ってはいけない。あくまで私の目的は店員の想像力を掻き立てさせることなので、そんな直接的な言葉を使ってしまうのは美学に反してしまうのだ。
店員は面食らったようで「えっ、このままでよろしいんですか・・・」と言っていた。その声には困惑の色があった。
私はその店員の反応を見て、勝利を確信した。にやけてしまいそうになる顔を抑えて「はい、大丈夫です」と答える。
pontaカードを提示した後お会計をする。猫缶とサラダ油を持って店の外にでるのだが、そしてここでも私は小細工をした。
猫缶と割り箸は持ってきていた手提げかばんの中に入れ、サラダ油は両手に抱えて持つ。ストローを一緒にかばんに入れてしまわずに、そのストローとサラダ油には関係性があるのだと主張するために、サラダ油の容器の側面に沿わせるかのようにストローを持った。「ありがとうございました」と明るい声を作って微笑む。
出来た。私はきっとこの店員さんに「サラダ油を飲む女」だと思わせられた。そんなのどこでわかるのって話だし、ただ自分のそのとっさの演技力に酔っているだけなのかもしれない。でも、私はひとつ、達成したのだ。
サラダ油とストロー。ちゃんと長い方のストローに対して絶妙な大きさである。
自転車のかごには猫缶と生活用品でいっぱいになっている。ここまでで買ったもの、サラダ油1リットルとアタックNEOの洗剤、詰め替えパックの柔軟剤、猫缶が5個とドックフードが一つ。
私、ノリで買っちゃったけど猫も犬も飼ってないんだよね。どうしようか。
コンビニ行脚いたずらの旅 1
なにか面白いことがしたい。この何も起こらない退屈な日々に何か変革を起こさなくてはならない。
リメンバー。思い起こせ。高校生のあの頃は、自分で面白いことを探していたではないか。隕石は燃え散る瞬間が最も美しいように、『衝動』している瞬間が最も私らしく美しい瞬間ではなかったか。
そういうわけでプロジェクトC(コンビニエンス)、開始。
スーパーのアルバイトの後、私は自転車を漕いでバイト先の近くのコンビニエンスストアに赴いた。
私はこつり、こつりと静かな靴音を立てながら店内を物色する。一回、二回と店内をぐるぐる回ったあと詰め替え用の柔軟剤を手にとり、レジへ赴く。
Pontaカードの有無を聞かれたあと、平静とさりげなさを装って言う。
『あっ、ストローつけてください』と。
私は以前から思っていた。
『コンビニで洗剤を買ったときに、ストローをつけろと言ったら、店員は「この人もしかして飲むんじゃないか」と期待するんじゃないか。そうすることで店員の想像力を掻き立てることが出来るんじゃないか。』と
これは私の6つのコンビニを巡る、行脚の旅である。
一件目、ローソン。接客してくれたのは私と同年代の20代の女性。化粧っ気が薄く、素朴な印象を受ける。彼女は普通にストローをつけてくれた。でも柔軟剤を見つめていたので、もしかしたら少し疑問に思ったかもしれない。
二件目、100円ローソン。猫用の缶詰めのキャットフードを一個レジに持っていき、『お箸をつけてください』と言った。店員は40代ぐらいの男性。髪質にくせがあるのかふわふわとしていて、前髪も長く、どこか清潔感に欠ける印象があった。
缶詰めを手に取ると特にその缶詰めを一瞥することもなくすみやかに袋に積めていた。あの缶詰めを猫用のものか人間のものかなど疑うこともない様子だった。レジが混雑しているのも関係していたと思う。
三件目、セブンイレブン。人はあまりいなかったし、バイトもその子しかいなかった。20代ぐらいの女の子で、とても眠そうにしている。アイプチのテープが見えていることもあって、彼女が疲労しているように見えた。
先ほど二件目ではあまり缶詰めを見ずに袋詰めされてしまっていたから学習して、缶詰めを一個ではなく二個買うことにした。同じ缶詰めだとリピート機能で、バーコードを読み込まなくてもレジの入力が出来てしまうので、あえて違う種類の猫缶を買う。
『お箸をつけてください』と言うと、バイトの女の子は
『何膳ご用意いたしましょうか』と聞いてくる。不意を突かれた。そんな質問をされるのは予想していなかった。彼女はあくまで接客の定型文を口に出しているのに過ぎないのだろうけど私は、
『この子は一体この猫缶を何人で食べることを想定して聞いているんだ?』と思うとおかしくなってしまった。笑いだしそうになるのを堪えて変な顔を しながら『い、一膳で…‥‥』と言う。次のコンビニへ。
続く
さらに前よりもっと生々しい話 2
私は処女です。しかし、特別守ろうという意思があったからと言うよりも、ぼんやりとしていたらいつの間にか今もそうなっているというような、そんな感じです。
取捨選択の機会が私に一度でも訪れたことはありません。また近い将来それが訪れるようにも思いません。だから今私が書いているこの文章は「もし綾瀬はるかと付き合ったらどのような形で彼女を幸せにするか」を真剣に考えている人ぐらいおめでたく、現実味もなく、不毛なものです。
ただ驚いたのが、その日逢ったばかりの男の人とそういう事が出来る女の人が一定数いるということでした。彼女たちは私は違う人種なのでしょうか。それとも、思いわずらっていたものも数年経てば些末なことだと思えるように、失ってしまえばとるに足らないと思うのでしょうか。
さらに前よりもっと生々しい話 1
過ぎ行く他人と快速電車
花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ